- 著者
-
溝邊 泰雄
- 出版者
- Japan Association for African Studies
- 雑誌
- アフリカ研究 (ISSN:00654140)
- 巻号頁・発行日
- vol.2003, no.62, pp.31-42, 2003-03-31 (Released:2010-04-30)
- 参考文献数
- 41
本稿は, 19世紀末のゴールド・コーストにおけるアフリカ人植民地政府官吏の実態を概観し, 世紀転換期におけるいかなる状況の変化が, 彼らの植民地政府に対する認識の変化を生じさせたのかを考察する。19世紀末までの西アフリカ海岸地域は, 病気, 資金, 現地についての知識不足などの厳しい制約のために, ヨーロッパ人が本格的にアフリカヘ侵入できる状況になかった。その為, 植民地政府は西洋教育を受けた一部のアフリカ人を官吏として採用し, 彼らの重要性を認識していた。そして, その「植民地」の運営にアフリカンエリートも進んで参加しようとした。しかしながら, 世紀転換期を迎える頃になると, 植民地政府官吏を輩出してきたアフリカンエリートの中から, 植民地政府がアフリカ人に向けて突き付けた様々な植民地政策に対して, 活発に改善要求を行う者が現われるようになった。そして, そうした一連の「アフリカ人」の権利回復運動が, 結果として, 20世紀アフリカ史の重要テーマであるパン・アフリカニズムや反植民地思想の形成の根幹となる,「部族」を超えた連帯意識を生み出す原動力となっていく。こうしたアフリカンエリートの植民地政府及びその背後に位置する大英帝国に対する認識の変化こそが, アフリカン・ナショナリズムのみならず, その後の「アフリカ人国家」建設にも少なからぬ影響を与えていったと考えられる。