著者
熊 征
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.157-187, 2019-12-20

本稿は,1972 年4月に山東省臨沂県銀雀山の漢墓から発掘された竹簡『孫子兵法』を取り上げ,その「攻」と「守」に対する考え方と,テキストの変遷に示される後世における解釈の変化について考察する。全体は3つの部分に分けられる。 第1部では,『孫子兵法』全体の攻守観についてまとめる。まず,『孫子兵法』を総括的に見て,その戦争に対する消極的な態度を分析し,戦争論より平和論を説いていることを明らかにする。そして,『孫子兵法』の「攻」と「守」を始めとする軍事の各方面,各段階における万全を追求する万全主義を論じる。最後に,『孫子兵法』全体は防御を重視する思想を説いていることを論じる。 第2部では,『孫子兵法』の攻守観が集中的に表れている形篇を中心に,十一家注本と竹簡本との相違点を比較し,両版本の重大な相違点に基づく攻守観の差異について考察する。主に,竹簡本の「善者」,「非善者」が,十一家注本では,それぞれ「善戦者」,「非善之善者」に作る点を取り上げ,竹簡本と比べて,十一家注本のほうが,「戦」のことをより積極的に説いていることを論述する。また,「攻」と「守」をめぐる改変として,竹簡本の「守則有余攻則不足」が,十一家注本では「守則不足攻則有余」に作る点,竹簡本の「不可勝守可勝攻也」が,十一家注本では「不可勝者守也可勝者攻也」に作る点,また,竹簡本の「昔善守者蔵九地之下勭(動)九天之上」が,十一家注本では「善守者蔵於九地之下善攻者動於九天之上」に作る点についての分析を通して,竹簡本では肯定される守備が,十一家注本では逆に否定的に扱われていることを論じる。これらの相違点の分析を通して,第1部でまとめた『孫子兵法』の攻守観と合わせて,竹簡本のほうが孫武の本意にふさわしいことを論じる。 第3部では,同時に出土した竹簡兵書である『孫臏兵法』と『孫子兵法』の間の継承関係から,『孫臏兵法』の攻守観について考察する。重点的にその威王問篇にある「必攻不守」に対する理解の仕方について分析する。戦争を消極的に見ている点,守備を重視し,万全を求める点において,孫臏が孫武と共通していることを明らかにする。それに基づいて考えれば,『孫臏兵法』威王問篇における「必攻不守」は,『孫子兵法』の「攻而必取(〔者〕),攻其所不守也」を継承している可能性が大きく,「必ず守らざるを攻む」と読むのが適切であることを論じる。