著者
片岡 佑介
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.44-64, 2017-01-25 (Released:2017-03-03)
参考文献数
40

【要旨】本稿の目的は、新藤兼人監督作『原爆の子』(1952)と関川秀雄監督作『ひろしま』(1953)のテクスト分析を通じ、両作品がいかに「無垢なる被害者」の像を生み出しているのかを明らかにすることにある。両作品はGHQ/ SCAPによる映画検閲の解除後、間もなく同一著書から製作された原爆映画であるために、これまでも比較考察がなされてきたが、従来研究は主題や製作過程、受容の観点から両作品を対照的なものと位置づけてきた。これに対し本稿は、両作品に共通する演出方法とジェンダー化された無垢の表象とに着目する。より具体的には、宝塚少女歌劇団の同期であった乙羽信子と月丘夢路がそれぞれ演じる白いブラウス姿の女教師による歌唱シーン、及び音楽のサウンドブリッジを契機に過去を想起する白血病の少女によるフラッシュバックシーンなどの場面を精査し、両作品の差異をこれらの場面での演出上の差異に由来するものとして新たに意味づける。そして両作品の語りの構造において、それぞれ画面に繋留されない女教師の歌声と沈黙する白血病の少女が主要な役割を果たしていることを浮き彫りにする。本稿では、明治以降の国民国家形成期における音楽の社会的機能にも目を配りつつ、両作品が映像と音声で構成される映画の媒体的特質に依拠した対照的な演出方法を用いながらも、しかし、共に原爆の「無垢なる被害者」と戦後の理想的な国民国家像とを構築していることを解き明かす。
著者
片岡 佑介
出版者
日本映画学会
雑誌
映画研究 (ISSN:18815324)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.44-66, 2017 (Released:2017-12-26)
参考文献数
42

本稿の目的は、黒澤明の『八月の狂詩曲』(1991)における対位法の意義を、原爆映画史および黒澤の過去作品での音楽演出との比較によって検討することにある。その際、本稿が着目したのは、この対位法演出に も看取できる聖母マリアの修辞である。原爆映画史において聖母マリアのモチーフは、特に長崎を舞台とする作品で度々用いられてきた。聖母マリアは爆心地・浦上地区のカトリック信仰を象徴する無垢な被爆者表象として機能しただけでなく、日本的なものと西洋的なものが融合したイメージとして、占領期の原爆言説とも密接な関わりをもつ。本稿では、日本で受容された対位法概念の二つの理解を参照し、黒澤が一度は般若心経の音声と聖母マリアの修辞としての薔薇の映像による対位法で冷戦後の世界の表象としての和解のイメージを構成しつつ、映画の最後に自作では異例の物語世界外の音楽を用いた対位法で核への恐怖と狂気による和解の転覆を演出していることを明らかにした。