著者
片桐 康宏
出版者
東海大学
雑誌
東海大学紀要. 文学部 (ISSN:05636760)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.111-125, 2000

1962年9月, ミシシッピー州北部オックスフォードにあるミシシッピー大学へ, ジェームズ・H・メレディスという名の一人の学生が, 初の黒人学生としての入学を果たした。この入学は, なにもメレディス本人の勇気によってのみ果たせたものではなく, 時のジョン・F・ケネディー大統領政権によるキャンパスへの連邦軍投入, そして二つの尊い人命を失った結果, 可能となったのである。この「ミシシッピー大学事件」(ないしは「メレディス事件」とも呼ばれる)に際しては, 州知事ロス・R・バーネットを中心としたミシシッピー州政府が, メレディス入学に対する徹底した抵抗を見せたものの, 最終的にバーネットによる州権論の援用-すなわち, 連邦政府と自州民との間に州の権限を差し挟み, 連邦裁判所によるメレディス入学命令を効力の及ばないものとする, 「インターポジション」理論の展開-は, 連邦軍に象徴された連邦政府の圧倒的な力の前に崩れ去ることとなる。同時にまた, 1950年代なかばよりアメリカ南部社会を嵐の中に巻き込んできた, 黒人による公民権運動史の文脈において, この「ミシシッピー大学事件」は, 合衆国憲法で保障された黒人の市民的諸権利行使への抵抗手段として, 州権論を持ち出すことの非有効性を, ミシシッピー州のみならず南部諸州へ知らしめることともなった。「ミシシッピー大学事件」から40年の歳月が流れようとしている今日, ジョン・F・ケネディー大統領図書館(マサチューセッツ州ボストン)から公開された大統領執務室における録音テープ, ならびに本稿執筆者自身によるミシシッピー州でのオーラル・ヒストリー・インタビューの一部を基に, 「ニュー・フロンティア」を標榜する一方において, 南部が抱える人種問題への介入に踏み切れないでいる若き合衆国大統領ケネディーと, 人種差別主義者としての面子を保ちながらも, 武力を伴う形での連邦政府との全面衝突をなんとしても避けたいと願うミシシッピー州知事バーネットとの間に繰り広げられた, 舞台裏での駆け引きを描き出すことを, 本稿執筆における目的とする。なお本稿は, 1999年度および2000年度東海大学学部等研究教育補助金個人研究プロジェクト(「1950-60年代アメリカ深南部州における公民権と州権-ミシシッピー州主権委員会の史的考察を中心として」)における, 研究成果の一部でもある。