著者
牧 義之
出版者
名古屋大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

本年度は、雑誌『改造』の伏字調査とともに、「内閲」に関する資料の整理を行なった。「内閲」が終了する昭和2年までの誌面を調査した結果、一つの記事の中で複数種が混合で使われているものが見られた。特に社会主義関連の記事に多く、語句(×印が多い)以外の文章単位の伏字(3点リーダーが多い)は、危険箇所として指摘された部分でもあると思われるので、「内閲」による結果であると想像される。関連資料の調査では、新聞・雑誌の記事から、大正10年には「内検閲」の言葉が見られ、慣習的に行なわれていたことが分かる。明治期の末までは、「出版前に原稿を検閲して出版後の安全を確保するが如き便宜法」を希望する記事(『読売新聞』明治43年9月10日)が見られたので、原則「内閲」は行われていない。発売禁止回避の為、当局と発行者の双方が歩み寄る「内閲」は、大正期以降昭和2年までのおよそ10年程度の期間に行なわれていたと推定される。廃止の理由については諸説あるが、大正14年中頃には廃止の噂が流れ、「現今では『そんな規定がないから』の口実で内閲願は苦もなく一蹴される」(同」大正15・3・20)という記事が示すように、内務省側も出版物の増大を理由に断わることが多かった。廃止を決定的にした原因の一つが、山崎今朝弥による禁止処分に対する訴訟事件である。大審院の判決により「国家警察権ノ発動ヲ阻止スルカ如キ」「内閲」の「契約ハ無効」(『法律新報』第120号、昭和2・8・25)とされたことが廃止の根拠とされたであろうと思われる。検閲と文学との関連性に関して、「狂演のテーブル--戦前期・脚本検閲官論--」(『JunCture超域的日本文化研究』第3号)、「永井荷風の検閲意識--発禁関連言説の点検と『つゆのあとさき』本文の分析から--」(『中京国文学』第31号)、「森田草平『輪廻』伏字表記考--戦前期検閲作品の差別用語問題--」(『文学・語学』第202号)の3篇を発表した。