- 著者
-
狩野 旬
押目 典宏
池永 英司
安井 伸太郎
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.77, no.7, pp.469-474, 2022-07-05 (Released:2022-07-05)
- 参考文献数
- 25
「誘電体」という言葉は「電気を誘う物体」を指すような印象を与えるかもしれないが,実際は電荷を誘う物体の方が正しい.強誘電体は,強的な秩序が形成された誘電体を意味する.強誘電体の結晶では表面と裏面でそれぞれ正と負の電荷を帯電させ,結晶内部に電場を形成させる.電場は正電荷から負電荷に引いたベクトルであるが,逆に負電荷から正電荷に引いたベクトルは電気分極と呼ばれる.つまり電気分極を有する強誘電体は,外部から電圧を印加させることなく電場を内包させた物質である.結晶の表面と裏面に正負の電荷を分離存在できるのは,結晶の相転移に伴う反転対称性の破れにより陽・陰イオンが相対変位し,結晶格子内の電荷バランスが崩れることで微視的には電気双極子モーメントが規則配列され,巨視的に電気分極が形成されるからである.最初に発見された強誘電体が水溶性の水素結合を有した塩であったことで,永らく研究者の認識は強誘電体=絶縁体であった.そのために結晶内に存在するすべての電子は,格子を形成する原子の核と重心を同じにする束縛電子しか存在しないと理解され,古典物理学での取り扱いで十分だと思われていた.磁性体の相転移が電子論を礎に置いた量子統計力学での取り扱いが可能だったことに対し,誘電体の構造相転移は古典物理学に立脚した統計力学的機構の基本的理解によって発展を続けてきた所以である.BaTiO3が第二次世界大戦中に発見されて以来,ペロブスカイト型結晶を中心とし酸化物強誘電体が広く研究され,その過程において電子構造の理解が大切なはずだと,半導体としての取り扱いがゆっくりではあるが確実に進展し続けた.強誘電体の半導体としての取り扱いが可能ならば,電子構造を眺めてやれば電子論からの理解が可能かもしれない.強誘電体の電子バンド構造はどのようなものだろうか?電子構造は電気分極由来の電場により変調されるはずで,分極方向に沿って結晶内でポテンシャルが傾斜した構造をもつことが予想される.筆者らは,結晶内部を深さ方向にスキャン可能な硬X線角度分解光電子分光法で原子層レベルに精密合成された強誘電体薄膜を測定して,傾斜したバンド構造の観測に初めて成功した.各イオンのバンド傾斜のエネルギーシフトの大小はボルンの有効電荷,またソフトモードの構成イオンに対応し,電気分極由来による傾斜したバンド構造がフォノンダイナミクスと紐付けられることがわかった.電気分極で制御された傾斜したバンド構造は,強誘電体に特異な整流性を発現させる.金属–半導体もしくは半導体–半導体接合時に2つの物質のフェルミ準位を合わせるバンドアライメントはよく知られているが,強誘電体と接合した金属や半導体とのバンドアライメントでは,傾斜したバンド構造に影響され特異な電子構造の変調を接合金属・半導体に対して引き起こす.筆者らにより,BaTiO3に接合させたPd酸化物が一般にとりやすいPd2+ではなくPd4+の価数状態を実現させることがわかった.これからは強誘電体=絶縁体という古典描像を捨て,傾斜したバンド構造のような電子構造を探求する強誘電体研究を目指すのはいかがだろうか.