著者
玉岡 幸太郎 梅本 滉嗣
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.6, pp.335-339, 2020-06-05 (Released:2020-10-14)
参考文献数
9

時空,そして重力の微視的起源を明らかにすることが,物理学における究極の問いの一つであることは間違いないだろう.近年,この問題を考える上で,量子コンピュータなどの基礎ともなる量子情報科学に基づいたアプローチが重要視されている.この問いは,「重力の量子論がどのように定式化されるか?」と換言できる.重力の量子化は,歴代の物理学者による挑戦を跳ねのけ続けてきた難しい問題だが,この困難を克服できる可能性の一つがホログラフィー原理である.これは,「D+1次元の量子重力理論は,D次元の重力を含まない量子多体系と等価である」という作業仮説である.実際に,量子重力理論の有力候補である超弦理論において,このホログラフィー原理を具現化したAdS/CFT対応が発見された.この具体例を通して,ホログラフィー原理の核心を明らかにすべく,数多くの研究が進められている.この文脈において,昨今では量子情報というキーワードを基にした新しい発展が続いている.その火付け役となったのが,D次元量子多体系のエンタングルメント・エントロピーとD+1次元重力理論のある種の曲面の面積が等しいことを明らかにした,笠–高柳公式である.エンタングルメント・エントロピーは,純粋状態にある2体系の量子もつれ(エンタングルメント)を定量化する情報量である.一方,面積は時空の曲がり方から一意に決まる幾何学量のため,この公式は「量子相関の構造」と「時空の曲がり方の構造」に密接な関係があることを示唆している.ところが,熱状態などの混合状態を考え始めると,エンタングルメント・エントロピーはもはや量子もつれを定量化する情報量ではなくなってしまう.これと対応するように,笠–高柳公式に現れる幾何学量だけでは,時空の計量を完全に決定できないことも知られている.事実,エンタングルメント・エントロピーの混合状態への一般化は量子情報理論におけるテーマの一つであり,これまでも文脈に応じて無数の情報量が提案されてきた.我々は少し見方を変えて,「ホログラフィー原理の観点から“良い”量子情報量は存在するか」という問いを考えた.その結果として,笠–高柳公式の一般化を与えるような“良い”量子情報量の候補を二つ発見した.一つは純粋化量子もつれと呼ばれるよく知られた量,もう一つはオッドエントロピーと呼ばれる新しく導入された量である.どちらの量も,純粋状態に対してはエンタングルメント・エントロピーと等価である.我々は,これらの情報量が,重力理論と等価な量子多体系において,笠–高柳公式に現れる曲面を一般化したもの(エンタングルメント・ウェッジ・クロスセクションと呼ばれる)の面積と等価であることを様々な観点(情報量と幾何学量の満たす不等式の一致や,重力と量子多体系における直接計算の一致など)から示し,一般に成り立つことを予想した.これらの発見は,単なる公式の一般化にとどまらず,従来の予想(重力理論とホログラフィックに等価な量子多体系では,2体量子相関が支配的である)に修正が必要であることを明らかにするなど,前述の「ホログラフィー原理が成り立つ上で何が重要か?」に対して新しい知見を与え始めている.また,このような情報量はホログラフィー原理の理解を超えて,様々な分野で有用である可能性が高く,今後の更なる発展,応用が期待される.