著者
生駒 久美
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

申請者は、20世紀初頭のアメリカ・モダニズム小説を読漁することを通じて、19世紀リアリズム小説における男性感傷の問題を考察してきました。その結果、モダニズム小説と比較することで、リアリズム小説において、男性登場人物達の感傷が称揚されていることに注目してきました。モダニズム小説に関して言えば、アーネスト・ヘミングウェイの『日はまた昇る』における主人公ジェイクは、感傷的(女性的)な男性登場人物コーンに批判的であるのに対し、(男性性を象徴する)若い闘牛士には強い憧憬の念を抱いています。ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』におけるジェイソンは、恋愛感情よりも家長として振る舞うことを優先します。モダニズム小説において感傷とは女性性を指し、否定的な意味しか持ちませんでした。しかし、それにもかかわらず男性登場人物の感傷(もしくは女性性)の抑圧は必ず失敗に終わるのです。モダニズム小説における男性感傷は、抑圧の失敗といった形で担保されていると見なすことが可能です。一方、社会をありのままに捉えようとするリアリズム小説家は、主に女性の共感に基づいたユートピア的共同体を称揚する感傷小説に反発し、社会から疎外され、苦悩する男性への共感をしばしば描きました。例えば、ウィリアム・ディーン・ハウェルズの『サイラス・ラパムの向上』における、事業に失敗したラパムに対する上流階級トムの共感、マーク・トウェインの『トム・ソーヤの冒険』におけるインジャン・ジョーに対する主人公トムの共感、ヘンリー・ジェイムズの「密林の野獣」における愛する者の墓前でむせび泣く男に対する主人公マーチャーの共感を挙げることができます。このように、男性感傷という主題は、モダニズム小説においては、失敗を前提としながら抑圧されるものであったのに対し、リアリズム小説においては重要であったことを確認してきました。