著者
田 云明
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.11-30, 2013-03

日中文化交流において、仏教者による文化導入の重要性が日本の特牲として指摘されている。渡唐した留学僧は、国から派遣された知的エリートとして、仏教経典を研鑚するのみならず、作詩を含む文化活動にも参加した。彼らの文壇での活躍ぶりは、すでに『懐風藻』などの漢詩集に現れている。ここで注目されるのが、僧侶による詩作に隠逸志向を表す表現が少なからず見出せるということである。仏教修行の僧侶が隠逸表現を詩作に詠み込むことは、当時の僧侶が隠者という観念上の存在と同一視される契機となった。本稿は、公的文化伝播者・布教者という特殊な立場に置かれた僧侶に注目し、彼らの詩作、彼らに纏わる僧伝に現れた隠逸表現、及び同じく文壇で活躍する宮廷人の詩作に見られる僧侶観について考察し、文学表現における僧侶と隠者のつながり、さらに日本における隠逸表現の受容と再構築における僧侶の役割を究明しようとするものである。 具体的には、まず、『懐風藻』僧伝、とりわけ留学僧の卒伝と詩作に見られる脱俗性・反俗性に着目し、隠者を彷彿とさせる僧侶像、及び詩作が帯びる隠逸志向を考察する。とくに「竹林」「佯狂」「方外士」「養性」など隠者と文学的つながりを持つ表現によって、文学における僧侶と隠者の境界がいかに曖昧になったのかを分析する。次に、主に嵯峨天皇をはじめとする宮廷人が詠んだ『文華秀麗集』『経国集』の梵門詩について検討する。とくに、僧侶と宮廷人が〈仏〉〈俗〉の対立関係にありながら、〈隠〉をもって両者を同化させようとする宮廷人の作詩傾向に重点をおいて考察する。以上の考察を通して、日本における隠逸表現の受容と再構築における僧侶の役割を明らかにする。
著者
田 云明
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.85-100, 2016-06

空海の『性霊集』劈頭に置かれた「遊山慕仙詩」において、詩題は一見遊仙詩のように隠逸風であるが、内容は仏教的なものが少なからず含まれている。波戸岡旭氏はこの一首の構成や、出典、さらに創作動機及び主題などについて、従来の遊仙詩との類似を考察し、空海の「遊山慕仙詩」は仏教思想を説くものでありながら、本格的な遊仙詩であると主張した。これに対し、井実充史氏が「『文選』遊仙詩を踏襲した形跡はない。言及しつつ踏襲していないということは、意識的に無視あるいは排除したといえる」と異議を呈し、「形式・内容ともにまったく新たな遊仙詩を歌い上げようとする」空海の創作意図を強調した。両氏とも「遊山慕仙詩」と『文選』などに載せられた従来の遊仙詩との関係性について言及しているものの、入唐の経験によって渉覧できた中国本土の文学作品や思想界の動向から受けた影響については、十分に検討がなされていないと考えられる。 空海の「遊山慕仙詩」はいかに仏教的なものを取り入れ、『文選』の遊仙詩を再構築したのか。それはすべて空海の独創により生み出されたものであろうか。本稿では、主に空海の帰国後の著述に表われた文学観を手がかりに、彼の文学創作の姿勢を把握したうえで、特に入唐時に目にとまった詩文や儒・仏・老の三教論との関連を視野に入れながら、「遊山慕仙詩」における『文選』遊仙詩の受容と超克を考察していきたい。空海の詩作を分析するにあたり、まず、『聾瞽指帰』と『三教指帰』及び『文鏡秘府論』を通して彼の文学観を把握する。次に、『文選』遊仙詩の内容と構成を明らかにしたうえで、「遊山慕仙詩」の内容、構成について分析を行なう。最後に、中唐詩僧・皎然の「短歌行」との関わりについて考察する。以上の考察を通じて、入唐の経験によって成立した文学観、三教論、および渉覧できた詩文が、空海「遊山慕仙詩」の創作に与えた影響を明らかにしたい。