著者
平山 郁夫 杉下 龍一郎 田口 榮一 水野 敬三郎 田渕 俊夫 福井 爽人
出版者
東京芸術大学
雑誌
海外学術研究
巻号頁・発行日
1988

今回の調査は昭和57年度の予備調査、昭和58年度の第1次本調査、同60年度の第2次本調査に続く第3次最終本調査である。第1次本調査では敦煌初期石窟中から壁画の一部に西魏大統4・5年(538・9)の紀年銘がある第285窟を選んで重点的な調査を行い、第2次本調査では北周代に属する第428窟ならびに隋代の造営になる第427窟の2窟について重点的な調査を行った。その調査研究結果は『敦煌石窟学術調査報告書』第1次および第2次の2冊に記したとおりである。昭和62年度の第3次本調査では、敦煌に10日間滞在し、9日間を石窟調査にあてた。第57窟をはじめとする初唐窟、第217窟など初唐から盛唐にかけての諸窟などを中心として特に第220窟について重点的な調査を実施した。この第220窟は、窟内に貞観16年(642)の年紀があり、また他の銘文により龍朔2年(662)に完成したことが知られる。敦煌の初唐窟ではもっとも早い年紀を持つものとして、また塑像、壁画ともに極めてすぐれた作行きを示すものとして、敦煌石窟のみならずこの期の中国美術史を考えるうえで極めて貴重な存在である。われわれの調査によれば、まず壁画では、南壁の壁面全体に描かれた阿弥陀浄土図が、それまで仏説法図形式を中心として展開してきた浄土図とは全く異なり、広濶な浄土の宝池に阿弥陀三尊をはじめ多数の諸尊を描き、宝楼段や舞楽段などを完備した本格的浄土図の先駆的遺例として注目される。またこの阿弥陀浄土図をはじめ東壁維摩経変相の帝王・諸臣図などにも当代の理想的写実主義の頂点ともいえる表現がみられ、中央に直結した画家の制作と考えられる。なお、同窟の壁画には、第57窟の説法図などをはじめとする敦煌壁画説法図相のさまざまな要素が受け継がれており、わが国の法隆寺金堂壁画に重大な影響を及ぼしていることを実証することができた。次に塑像では、その写真的表現の完成度の高さは以後の敦煌塑像の出発点となるものであり、さらに彩色文様においても新生面がみられる。このように第220窟は、すでに失なわれた中国中央初唐代のすぐれた絵画・彫刻の表現をうかがい知ることのできる重要な窟であることが指摘される。また今回は、このほか、北京の故宮博物院、歴史博物館、ウルムチの新彊ウイグル自治区博物館、クチャのスバシ故城、クムトラチ仏洞、キジルチ仏洞、敦煌西千仏洞、炳霊寺石窟、蘭州の甘粛省博物館を見学した。敦煌においては9月20日より24日まで敦煌研究院で開催された敦煌学会に出席し、専門研究者のすぐれた発表を聞くことができたのも収穫の一つである。なお、今年度は、次の3窟計6図の原寸大現状模写を完成させた。(一)第220窟南壁阿弥陀浄土図から部分図2図、東壁維摩経変相から部分図2図(二)第57窟南壁説法図から部分図1図(三)第217窟南壁法華経変相から部分図1図