- 著者
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田辺 真弓
- 出版者
- 一般社団法人 日本家政学会
- 雑誌
- 一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集 59回大会(2007年)
- 巻号頁・発行日
- pp.261, 2007 (Released:2008-02-26)
目的毛皮は西洋諸国や中国等において社会的地位の高さと富を象徴するものとして珍重されてきた.日本においても渤海国との交易でもたらされた黒貂の毛皮が古代の一時期珍重されたが,その後は近世まで鹿や熊の毛皮が行縢や猟師の衣料等の特殊な用途に限って用いられていたに過ぎない.しかし,開国によって日本人の衣生活には大きな変化が見られるようになり,毛皮が一般の人々の日常の衣服に取り入れられたことが注目される.当時の人々は毛皮をどのような意識を持って用いたのかを考察する.方法明治・大正時代の新聞・雑誌の記事や挿絵,文学作品,絵画等に表されている毛皮の利用について資料を収集し,検討する.結果近世まで毛皮や皮革は不浄のものとして認識され,衣服としての用途は限られていた.しかし,明治元年には皇居御門内で皮製諸物を用いることが許され,人々の皮革や毛皮に対する感覚も変化していった.明治5,6年には,断髪に関連してシャッポが大流行し,その高級品としてラッコ製の帽子が流行した.さらに明治6年には狐や兎などの毛皮の付いた襟巻が流行している.その後,明治末から大正にはトンビ,インバネスなどの襟に獺,栗鼠,鼬,貂などの毛皮を防寒用に付けることが盛んになった.毛皮が珍重されたため,明治15年頃には北海道のラッコは絶滅に瀕した.また明治29年には日本近海に多く棲息していたラッコやオットセイを密猟する外国船が横行しているとの記事もある.当時の日本人が外国人の毛皮に対する関心の高さを知り,その美しさと価値の高さ,優れた防寒性を理解したことが,それまでなじみの薄かった毛皮を衣生活に取り入れることにつながったのだと思われる.