著者
田邉 健太朗 鈴木 良拓
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.71, no.10, pp.688-694, 2016-10-05 (Released:2017-04-21)
参考文献数
18

時空の次元Dが無限大の極限において一般相対性理論はどのような理論になるだろうか.またブラックホールはその極限においてどのように振る舞うのか.この次元無限大の極限を取る手法は決して珍しいものではなく,身近なところでは統計力学における平均場理論がある.各サイトにおける自身のゆらぎを無視する平均場理論は,空間次元が無限大になる極限において厳密になる近似手法である.さらに,動的なゆらぎを取り入れた動的平均場理論は強相関電子系においてその威力を発揮している.本稿では,次元無限大の極限を取る手法(以下,高次元極限法)が,一般相対性理論においても強力であるという我々による最近の研究成果を紹介する.平均場理論においては無視されるゆらぎであるが,一般相対性理論ではそのゆらぎのダイナミクスに着目することで,高次元極限法によりブラックホールがもつ重要な性質をアインシュタイン方程式から抽出することができる.次元無限大の極限では,ブラックホールの重力場はそのホライズン近傍の非常に狭い領域に閉じ込められるようになる.つまり,その極限においてブラックホールから少しでも離れた場所ではその重力を感じなくなる.この描像は平均場理論においてゆらぎを無視する近似が次元無限大の極限で厳密になることと似ている.しかし我々の解析は,そのブラックホール近傍に閉じ込められる重力場のダイナミクスに注目するという点において平均場理論とは大きく違ってくる.一般相対性理論はスケールを含まない理論であり,そのような狭い領域における短いスケールの重力場のダイナミクスも記述できる.特に次元無限大においてホライズン近傍に局在するその重力場のゆらぎこそが,ブラックホールのもつ興味深いダイナミクスの鍵を握っているのである.我々による重要な研究成果の一つは,ブラックホールの有効理論を高次元極限法により導出したことである.時空の次元Dが大きくなる極限において,ホライズン近傍に閉じ込められる重力場の空間スケールはホライズン半径r0に対してr0 /Dとなる.このr0 /Dという短いスケールの重力場はアインシュタイン方程式において積分することができ,結果としてブラックホールによる重力場の低エネルギーゆらぎに対する有効理論を得ることができる.有効理論はブラックホールホライズンを質量や運動量,粘性など物理的性質をもった実体として記述するものであり,これはまさしくブラックホール物理学におけるメンブレンパラダイムをアインシュタイン方程式から導出したことを意味する.この有効理論は,ブラックホールがもつ不安定性とその非線形時間発展といった重要なブラックホール物理を単純な方程式で記述し,それらの解析を劇的に簡単化する便利なものである.我々の宇宙が高次元時空であることを示唆する超弦理論に触発され,高次元ブラックホールの研究はこれまで盛んに行われてきた.しかし,高次元ブラックホールの物理的性質は4次元ブラックホールのものとは全く異なり,どのようなブラックホール解が存在するのか,どのようなブラックホールの不安定性があるのか,など高次元ブラックホールに対する我々の理解は未だ不十分である.これは非線形連立偏微分方程式というアインシュタイン方程式の特徴からその解析が容易ではないことによる.そのような複雑なアインシュタイン方程式に潜むブラックホールの物理的性質を探る研究において,今後,ブラックホールの有効理論を与える高次元極限法は新たな突破口を開くだろう.