著者
白木 利幸
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.187-212, 2000-03

海洋信仰の一種である辺路信仰を起源とする四国遍路は、中世以降に弘法大師信仰が成立して、巡礼の一形態として今日に伝えられた。しかし、江戸時代以前はプロの修行者によってのみおこなわれるものであって、在家信者の姿はほとんど見ることができなかった。そのような四国遍路の一般開放に貢献したのが宥辨真念であり、その業績について本論において詳細に考察する。 真念は二十回以上の四国遍路をおこなったとされており、高野聖の性格を有した僧と思われる。しかし、その生涯については、自ら『四国徧禮功徳記』に「大阪寺嶋頭陀真念」と記している以外は、不明な点が多い。ただ、没年に関しては、墓石と供養石仏が近年になって発見され、元禄四年(一六九一)六月二十三日ということがあきらかになった。 四国遍路における真念の業績には、次の三点をあげることができる。第一に、遍路専用の簡易無料宿泊所である辺路屋を、最大の長丁場の中間点にあたる土佐国市野瀬に建立して、真念庵と名づけられたこと。第二に、遍路のための標石を四国の各地に造立したこと。第三に、高野山の学僧寂本の協力を得て、四国遍路の案内書として、『四國邊路道指南』一巻、『四國徧禮霊場記』七巻、『四國徧禮功徳記』二巻を出版。これらの案内書は四国内だけではなく、大坂や高野山にも販売所を指定して、関西からの遍路の誘致を図っている。なかでも道中記にあたる『四國邊路道指南』は、増補大成本として明治期まで再編しながら出版され続けた。 それまでの修行の場だった四国遍路が、江戸時代初期に行われた真念の活動によって庶民化されたのであり、現在の遍路が決定づけられたといっても過言ではない。