著者
眞方 忠道
出版者
神戸大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1990

パルメニテスの「存在」概念を明かにする為に挟み撃ち作戦をとった。一つはパルメニデス以前のイオニア派中ピュタゴラス派の根底にある,アルケーやプシューケーの概念を明かにすることにより,パルメニデスが不生不滅,不変不動,不可分であり,完全球によそえられるとした「存在」概念を解明する試みである。他の一つはパルメニデス以後の哲学者達による批判的継承過程を通じて「存在」概念を明かにする試みである。前者については,哲学以前のギリシア人の心情,宗教的感情の中でその核となる,生き生きと同一性を保ち働きつづける何かへの信仰の要素まで溯ることによって,アルケーやプシューケー概念が理解可能となるとの知見を得た。具体的には,人間が生存する為には犠牲となり葬られ,しかも複活再生してくるディオニュソス神に象徴される力への信仰及びアキレウスの怒りに見られる他とは置き換えられぬ自己という考え方が,ギリシア人の根底にあるということである。後者についてはエンペドクレス,アナクサゴラス,デモクリトス達の所謂自然哲学,更にプラトンのイデア論ばかりではなく,ソクラテスか死を賭して示した生き生きとした同一性,特に人格の同一性の問題とつなげることによって,パルメニデス理解が可能になるとの見通しを得た。以上の成果をふまえてパルメニデスの残存断片の整理,編集 一行一行についてに翻訳,註釈の作業を試みた。特にパルメニデスは「真理の道」で恩惟によってとらえられるとした「存在」が「ドクサの道」で感覚世界に如実に働きかけている,その働きかけの様相を明かにすべく努めてること,「序歌」はその「存在」のもつ生き生きとした同一性を保ち働きつづける力を詩を通じて感得させると共に,「存在」理解の連続性と段階性を示すものであり,二つの道をつなぐ要となっていることを示すことに努めた。