著者
石井 洗二
出版者
一般社団法人日本社会福祉学会
雑誌
社会福祉学 (ISSN:09110232)
巻号頁・発行日
vol.49, no.3, pp.5-16, 2008-11-30

本稿は,「国民たすけあい」理念の歴史的な検討を通じて,社会福祉研究の立場から共同性の今日的な可能性を考えることを目的としている.敗戦後,民間社会事業に対する公費助成が禁止されたことを受けて,その財源確保のための全国的キャンペーンとして厚生省の主導で共同募金運動が開始された.発足当初の共同募金運動では,"共同社会構成員の義務"と"国民たすけあい"という2つの運動理念が掲げられた.前者は厚生省の発案による理念で,後者は同胞援護会によって実施されていた同胞援護運動の延長にある理念であった.共同性をめぐる理念の歴史をたどり,そのなかでこれら2つの運動理念を相対化したとき,前者は社会連帯からのつながりに,後者は隣保相扶からのつながりにあったことが分かる.図式的には,前者の理念を実質化するために不可欠な役割を果たしたのが後者の理念であった.隣保相扶,社会連帯,国民たすけあいの各理念に共通する特徴は,今日の共同性をめぐる議論をとらえ直す際に重要な視点となる.
著者
石井 洗二
出版者
一般社団法人 日本社会福祉学会
雑誌
社会福祉学 (ISSN:09110232)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.1-11, 2014-11-30 (Released:2018-07-20)
被引用文献数
2

本稿は,19世紀の日本において慈善事業という語が用いられた社会的な文脈と,1950年代から慈善事業が歴史記述のための概念として用いられるようになった経緯を考察する.19世紀末に慈善の語はいくつかの文脈で用いられていた.そのようななか,近代国家として慈善事業の整備を必要と考える立場から1908年中央慈善協会が設立される.これを機に福祉実践は慈善,慈善事業の語によって語られることが一般化した.しかしその十数年後には,慈善事業は社会事業の前史として否定的に語られるようになった.そのような来歴に見られる二つの含意を踏まえて,1950年頃に吉田久一は,日本における慈善には「封建的慈恵性」と「近代性」という二つの性格が背負わされた,という慈善の「二重性」論を提起し,そのうえで慈善事業を歴史研究の概念として位置づけた.それは戦前の社会事業研究を継承しつつ,風早八十二らの議論を踏まえることであった.また,社会事業を社会福祉の前段階として説明しようとする風潮に抗する意図もあったと考えられる.