著者
磯部 大樹
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.8, pp.491-495, 2020-08-05 (Released:2020-11-14)
参考文献数
50

グラフェン2層からなる超格子構造において金属的な状態から,絶縁体さらに超伝導体への相転移が実験的に観測された.グラフェンは炭素原子1層からなる2次元物質であり,それ自体は高い電気伝導度を持つことを考えると驚くべき結果である.なぜグラフェンを2層重ねることで電子状態がこれほど大きく変化するのだろうか.またどうして炭素原子のみからなる物質においてこれほど多様な相が現れるのだろうか.その背景にはファンデルワールス物質における構造の自由度と制御性の高さ,そして電子間の相互作用の効果がある.絶縁体状態および超伝導状態が観測されたのは,グラフェン2層を互いに1.1°ほど回転させて積層させたときである.2層の格子の周期性のずれは「モアレ」と呼ばれるうなりを生じ,元のグラフェンの格子定数(0.246 nm)よりもはるかに長周期(10 nm程度)の格子構造が現れる.加えてグラフェン2層の結合はエネルギーバンドの再構成を引き起こす.相対角度1.1°のとき,モアレの長周期構造を反映したエネルギーバンドは元の単層グラフェンと比較して非常に狭いバンド幅を持つ.その結果として電子間相互作用の効果が相対的に大きくなることから,電子状態に不安定性が生じ相転移が起こることが理論的に予想されていた.グラフェン超格子構造は2次元系であることとバンド幅が狭いことにより,バンドが空の状態から完全に満たされた状態まで自由に制御することができる.この実験上の特徴を利用し最初に絶縁体状態および超伝導状態が観測されたのは,モアレ超格子におけるユニットセルあたりの電子またはホールの数がおよそ2個となるときである.これらの相転移はともにおよそ1 Kの低温で見られ高温では金属的な振る舞いをすることから,電子相関効果に起因するものと考えられている.電子相関に起因する絶縁体状態および超伝導状態は一般に理論解析が難しく,さまざまな解釈が提案されている.手法としては大きく分けて電子のバンド構造やフェルミ面に着目する弱相関極限からの解析と,実空間での格子構造に着目する強相関極限からの解析がある.弱相関側からの解析では,状態密度の発散をもたらすファンホーブ特異性とフェルミ面のネスティングから絶縁体状態と超伝導状態が説明される.この場合の絶縁体状態は電荷密度波またはスピン密度波に由来する.一方で強相関極限からの解析はハバード模型やモット絶縁体,またウィグナー結晶等と関連し,整数フィリングでの電子相関効果の発現がより容易に理解される.実際の相互作用の強さは運動エネルギーと同程度と考えられており,両極限からの理解が得られることが望ましい.実験の進展にともない,電子相関効果による絶縁体状態もしくは超伝導状態はモアレ超格子のユニットセルあたりの電子数が(0を除く)整数の付近で広く生じることが明らかになった.また異常ホール効果の測定から磁性の存在も報告されている.モアレはグラフェンの2層構造に限らず,一般的に格子の周期性のずれからうなりができる場合に生じる.2次元物質の積層構造としては,グラフェン以外にも同じくファンデルワールス物質である遷移金属ダイカルコゲナイドを用いることもでき,実験と理論の両面から精力的な研究が進められている.2次元物質の超格子構造の有する自由度と制御性の高さは物質の電子状態の設計に有用であると同時に,電子相関効果の理解に対して新たな知見をもたらすことが期待されている.