著者
福永 素久
出版者
別府大学史学研究会
雑誌
史学論叢 (ISSN:03868923)
巻号頁・発行日
no.46, pp.1-17, 2016-03

大坂の陣(1614 ~ 15年)は、徳川VS豊臣の対立構造以外にも、徳川幕府の権威が西国まで及ぶための戦争であったことが、最近の研究で見えてきている(笠谷20071)。冬と夏に分かれ、大坂城周辺以外にも摂津・河内・和泉の広い範囲で行われた一連の戦闘が、幕藩体制を確立する上で1つの重要な事件であった事はいうまでもない。 一連の戦闘のうち、著名なもので真田丸の攻防がある。真田丸と言えば、慶長19年(1614)冬の陣の時、大坂城の南側を守る丸馬出し状2の出丸と築かれた事は知られている(第1図)。通説では真田信繁(幸村)が構築し、自分たちより倍以上の徳川軍に対抗したという事は有名であろう。この出丸は冬の陣終了後、まもなく破却された。しかし信繁の活躍が江戸時代以降、軍記物・時代劇・まんが・アニメ等を通して脚色され、真田幸村としてのヒーロー像を語る上で、真田丸は欠かせない要素になっている。