著者
稲松 敏夫
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.353-362, 1995

筆者は先に第1回~第11回にわたって、電力土木の変遷と、電力土木に活躍した人々を中心に各河川の水力開発について述べ、その中で電力土木に一生を捧げた人々のうちの代表的人物60名を発掘して、その成果をまとめ得た。<BR>さらに一昨年から、その中25名の人々の業績を詳述し、第2編・電力土木人物史として6名 (知久清之助、伊藤令二、北松友義、目黒雄平、高桑鋼一郎、久保田豊) について発表し、今回はその3として数名を発表する。
著者
稲松 敏夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.353-362, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
3

筆者は先に第1回~第11回にわたって、電力土木の変遷と、電力土木に活躍した人々を中心に各河川の水力開発について述べ、その中で電力土木に一生を捧げた人々のうちの代表的人物60名を発掘して、その成果をまとめ得た。さらに一昨年から、その中25名の人々の業績を詳述し、第2編・電力土木人物史として6名 (知久清之助、伊藤令二、北松友義、目黒雄平、高桑鋼一郎、久保田豊) について発表し、今回はその3として数名を発表する。
著者
稲松 敏夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.261-270, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)

筆者は先に第1回-第11回にわたって、電力土木の変遷と、電力土木に活躍した人々を中心に各河川の水力開発について述べ、その中で電力土木に一生を捧げた人々のうちの代表的人物60名を発掘して、その成果をまとめ得た。さらに4年前から、その中25名の人々の業績を詳述し、第2編、電力土木人物史として、16名 (知久清之助、伊藤令二、北松友義、目黒雄平、高桑鋼一郎、久保田豊、内海清温、熊川信之、岩本常次、吉田登、水越達雄、市浦繁、鵜飼孝造、和澤清吉、大林士一、金岩明) について発表し、今回はその5として数名を発表する。(明治-昭和期、土木、開発した人)
著者
岡田 憲夫 稲松 敏夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.149-156, 1985-06-25 (Released:2010-06-15)
参考文献数
3

河北潟は、石川県内灘町の日本海海岸の近く。内灘砂丘をはさんで2, 248haの大きな湖沼であるが、前田藩主の奨励によって、延宝6年 (1673年) 第1回の埋立てが行われてから、180年後嘉永2年 (1849年) 7回目に銭屋五兵衛の埋立てが着工された。五兵衛の埋立計画は周囲27km、面積23km2 (2, 300町歩)、50, 000石増収を目的とした20年計画の壮大なものであったが、着工後2年目で、所謂魚の中毒事件で漁民の告訴によって、銭屋五兵衛一家が捕えられ、埋立工事も中断した。その後数回、沿岸農家から埋立申請が出されたが、着工に至らなかった。終戦後、昭和28年頃より内灘砂丘米軍試射場反対運動が起り、その後昭和38年農林省北陸農政局により埋立方式でなく, 干拓方式によって、干陸工事が行われ、昭和50年干陸式を行い、現在2, 248haの潟面積の中60%1, 358haが干拓され、その8割が畑地、2割が酪農地として20余戸が酪農家として入植している。本稿は, 藩政時代特に銭屋五兵衛時代の埋立工事と、現在施工された干拓工事の技術上の相異点と、時代的背景、並びに銭屋五兵衛の埋立工事及び魚中毒事件の背景についてまとめた。尚、60年5月21日完工式が行われる。第1回の埋立工事より実に312年目にあたる。