著者
笠原 英明
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会北陸支部研究報告集 (ISSN:03859622)
巻号頁・発行日
no.45, pp.411-414, 2002-06-23

フランスは、十六世紀前半にイタリアから建築の知を得たが、十七世紀に入ると、自国内での適応が進み、独自の翻案が発展した。しかし、スュブレのグループによって、そうした状況への不満が明らかにされ、古典主義的意匠が、当時のフランス建築の意匠との対比を生みながらも導入される。対比は、1650年に古代の参照の復活を掲げて登場するフレアールの『比較論』と、それ以前の十七世紀の建築書の間にも明確に現れることになる。また、彼らの不満は、建築の意匠に留まらず、企業家としての建築家のあり方に対しても向けられていた。しかし、建築アカデミー設立の頃には、王権の強まるなか、古典主義は完全に優勢となり、多くの建築家は統制の元に置かれることになる。
著者
笠原 英明
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会北陸支部研究報告集 (ISSN:03859622)
巻号頁・発行日
no.46, pp.399-402, 2003-07-19

ルネサンス以降の建築家は、古代に関心を示してきたが、特に建築の起源に関する物語は、建築の正当性を主張するためには重要なものであった。フレアールが『比較論』において引用した著作家のうち、最初期の人であるアルベルティは、F.ショエによって分析を受け、起源に関する物語から真理を汲み取った成果を評価される。しかし、彼による物語の考察は、副産物を生じさせる。それはギリシア、ローマの古代建築の優越を正当化する意図のもとに編まれる建築史と、主に比例に関する教義的な美学である。しかし、フレアールによる十七世紀のフランスにおける古典主義の始まりにおいては、以上のアルベルティの帰結すべての有効性が失われていた。