著者
米澤 嘉康
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.1085-1091, 2007-03-25

1999年7月,大正大学綜合佛教研究所の写本調査チームは,チベット自治区ラサ市のポタラ宮において,『維摩経』と『智光明荘厳経』という両文献の梵文写本がそれぞれ完本として同じ帙に収められて所蔵されていることを確認した.筆者は,幸運にも,ポタラ宮での写本調査に参加し,その後の文献学的基礎研究に携わることができた.しかしながら,その過程で若干気にかかっていることがある.それは,『維摩経』と『智光明荘厳経』とでは知名度に差があるためか,貴重な両文献がセットで発見されたという事実がそれほど注目されていないのではないかということである.そこで,本稿は,『維摩経』と『智光明荘厳経』という両経典が,同一の寄進者シーラドヴァジャ,同一の筆写者チャーンドーカによってほぼ同時期に筆写され,同帙に収められて保存されてきたという事実を再確認して,彼らの意図がどのようなものだったか,考察するものである.状況証拠から導かれる暫定的結論は,シーラドヴァジャおよびチャーンドーカにとって,『智光明荘厳経』のほうが『維摩経』よりも優先度が高かったのではないかというものである.その背景には,写本筆写当時,さらにそれ以降,流行していた密教の思想・文化的影響もあったのかもしれない.
著者
米澤 嘉康
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.0165-0176, 2016 (Released:2019-02-22)
参考文献数
14

仏伝の記述において、五比丘に対する初転法輪の直前に、異教徒であるウパカとの邂逅エピソードが挿入されている。本稿は、特にパーリ『律蔵』「大品」において、そのエピソードにどのような意義があるかを明らかにすることを目的とする。そのエピソードついては、ウパカに対して釈尊の説得が失敗した、と解釈される場合が多い1)。すなわち、釈尊自身も順風満帆な伝道活動を送っていたのではないのであるから、仏教教団の出家者たちも失敗に落胆することなく、伝道活動に従事せよというメッセージが含まれているというものである。 このエピソード自体は、仏伝資料の成立と発展という観点では、決して最古層に属するプロットではないようである2)。であるならば、初転法輪の直前に、あえて失敗例としてのエピソードを挿入したという解釈を見直す必要があるのではないか? そこで、本稿では、このウパカとの邂逅エピソードが初転法輪の直前に置かれているというその意義について、テキスト編纂の意図に顧慮しながら、検討することとしたい。 本稿の概要は以下のとおりである。まず、パーリ『律蔵』「大品」における、ウパカとの邂逅エピソード直前までのプロット構成を確認する。そして、当該パーリ語テキストならびに『南伝』の和訳を引用し、その内容について検討する。さらに、ウパカとの邂逅エピソードが他のテキストでは、どのように取り扱われているかを概観しつつ、パーリ『律蔵』「大品」との差異等を指摘する。そして、最後に、ウパカとの邂逅エピソードの意義について、私見を述べることとする。