著者
米澤 正弘
出版者
一般社団法人 日本地質学会
雑誌
地質学雑誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.122, no.8, pp.445-458, 2016-08-15 (Released:2016-09-02)
参考文献数
14
被引用文献数
1

千葉市は東京湾の湾奥部北東側に位置し,昭和30年代半ばまで,海岸には広大な干潟が延々と広がっていた.遠浅で広い干潟では,古くからあさりなどの貝掘りや海苔の養殖が盛んで,観光としての潮干狩りや海水浴でも賑わっていた.高度経済成長の影響で海岸の埋め立てが始まったのは,昭和30年代半ばである.その後何度かの停滞を挟むが埋め立ては順次進み,昭和50年代には終了する.埋め立ての進行に伴い工場や住宅が進出し,京葉線が通り,現在はビジネス街・大型商業施設地域・高層マンションなどが立ち並ぶ新都心として発展を遂げている.埋め立て終了から約40年が経ち,埋め立ての記憶は,そこに住む人々からほとんど消えてしまっている.本巡検では,埋め立て地に建つJR稲毛海岸駅から旧汀線に向かって歩き,埋め立ての歴史を遡る.さらに旧海岸線沿いを歩きながら昔の海岸の名残を探し,地形・地質の変遷を考える.最後に,地形の人工的な改変についても見学する.
著者
米澤 正弘
出版者
一般社団法人 日本地質学会
雑誌
地質学雑誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.122, no.8, pp.445-458, 2016
被引用文献数
1

<p>千葉市は東京湾の湾奥部北東側に位置し,昭和30年代半ばまで,海岸には広大な干潟が延々と広がっていた.遠浅で広い干潟では,古くからあさりなどの貝掘りや海苔の養殖が盛んで,観光としての潮干狩りや海水浴でも賑わっていた.</p><p>高度経済成長の影響で海岸の埋め立てが始まったのは,昭和30年代半ばである.その後何度かの停滞を挟むが埋め立ては順次進み,昭和50年代には終了する.埋め立ての進行に伴い工場や住宅が進出し,京葉線が通り,現在はビジネス街・大型商業施設地域・高層マンションなどが立ち並ぶ新都心として発展を遂げている.</p><p>埋め立て終了から約40年が経ち,埋め立ての記憶は,そこに住む人々からほとんど消えてしまっている.本巡検では,埋め立て地に建つJR稲毛海岸駅から旧汀線に向かって歩き,埋め立ての歴史を遡る.さらに旧海岸線沿いを歩きながら昔の海岸の名残を探し,地形・地質の変遷を考える.最後に,地形の人工的な改変についても見学する.</p>