- 著者
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紺野 茂樹
- 出版者
- 東京大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2005
まず取り組んだのは、「苦しむことを望まない」という、全人類に共通する属性に依拠する、「共苦の連帯」の反対物である、排外主義的民族主義の分析である。集団的な「些細な差異に拘るナルシシズム」(フロイト)に基づく、この排外主義的民族主義は、1930年代から40年代にかけて猛威を振い、冷戦後、世界各地で不死鳥のように蘇った。その最も陰惨な形が、90年代の旧ユーゴやルワンダ等における、そしてイスラエルによる現在進行形の、「民族浄化」である。具体的には、まずは従来から親しんできた、30年代から40年代にかけての『権威と家族』をはじめとするフランクフルト学派とその周辺の思想家達による、ファシズム-ナチズムおよび反ユダヤ主義の分析や、丸山眞男による天皇制軍国主義の分析等を繙き、今日でも学ぶに値する洞察にアクセントを置いて、再構成した。これらの社会心理学的研究で展開されているのは、マルクスの唯物論とフロイト精神分析の総合を目指して行われた、ファシズムの大衆=群衆心理分析である。しかし大いに驚いたのは、この30-40年代の大衆=群衆心理のかなりの部分が、90年代以降の日本のそれも含めた排外主義的民族主義において、反復しているという点であった。更に、他者の苦しみに対する想像力として、これまでのホルクハイマー-ショーペンハウアーにおける「共苦(Mitleid)」に加えて、ルソーにおける「憐れみ(pitie)」やスコットランド啓蒙における「同感(sympathy)」の思想史的・現代的意義と問題性についても、イグナティエフやマルガリートといった、現在存命中の内外の思想家による研究と照らし合わせながら探究した。そして、この過程の中で、これまではあまり視野に入っていなかった、世界人権宣言をはじめとする、人権を国家の枠組みを超えて普遍化しようとする、国際法上の試みにも取り組み始めた。