- 著者
-
織田 康孝
- 出版者
- 立命館大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2015-04-24
今年度は、戦中から戦後の連続性をキーワードに日本・インドネシアの関係に着目し研究を行った。具体的にいうと、戦中において軍政に関わっていた日本人、とりわけ清水斉(元第十六軍宣伝部所属)の戦後の動向、彼が設立した日本インドネシア文化協会の役割、スカルノの動向の三者を軸に考察したものである。戦後においてスカルノは「革命」の名の下インドネシア国内における自らの地位・正当性を表現しており、反オランダ活動を展開していた。彼の反オランダ活動は政治的・経済的両側面より展開された。まず、政治的側面においては、オランダの手中にあった西イリアンをインドネシアに返還するよう求め、経済的側面では、オランダ資本を追い出し、それらを自国民族の資本に変更することを遂行した。このスカルノの政策は、インドネシア国内を困困窮の道へと導いてしまう。そこでスカルノは、戦後賠償を紋切りに日本から経済協力を引き出すのであった。その際彼は軍政期の話を持ち出し、日本=兄、インドネシア=弟といったいわゆる「大東亜共栄圏」的発想で日本からの援助を求めていくのであった。しかし、オランダ資本に代わり、外国資本である日本資産がインドネシア国内に入ってくることでスカルノの同政策は自身の正当性を担保しきれないものとなっていく。この状況を打破していくのが日本・インドネシア文化協会であった。その設立者である清水斉の論考をみると、軍政期の日本中心的な考えを否定し、かつ、スカルノ政権では西イリアン問題が非常に重要な問題となっているので、同協会を利用し西イリアンの解放運動までも行おうと試みていたのである。これがインドネシア国営通信社であるアンタラ通信にて報道され、インドネシア国内にも認知されるようになった。これらの活動が当該期における日本・インドネシアの関係において潤滑剤となっていたことが推察できる。以上が今年度の研究実績である。