著者
翠川 文子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.152-132, 2004

大枝流芳の通行の略伝の内容の検証と諸資料による大枝流芳研究の手がかりを紹介する。大枝流芳の本名は岩田信安、本姓は大江、大枝流芳は版本の筆名。号は漱芳ほか、多く隠逸趣味を反映している。流芳は難波でも由緒ある家格の富家の出身。多病のため世事から離れ京都に享保年中まで隠棲し貝合から始まりさまざまな雅遊の故実について漢籍・古典を渉猟し筆録し考察を加えていた。大坂に本拠を移したのは享保15、16年。香道への関心を強めたのはその頃か。享保17年御家流の口伝を受けていた大口含翠に香道伝授を願って弟子入り。含翠の香道三流に通じた解釈と幅広い知見と多くの伝書の提供を受けた流芳は、含翠とともに伝統的な公家の雅びの世界としての香道御家流を新たに作り上げた。流芳の編著について『国書総目録』に加筆訂正を行った一覧を記す。流芳の没年については新資料と推定を紹介する。
著者
翠川 文子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.178-159, 2002-03-15

江戸時代前期の伝説的な香人米川常白及び関係者の事績を,現在取り上げられていない資料を渉猟検証し紹介する。〔資料〕(1)米川一族墓誌(2)『操軒米先生実記』(3)『反魂集』「香道系図」(4)『草々之記』(5)『香道千代の松原』(6)『焚香濫觴輯略』(7)『香道大成』ほか〔事績〕(1)米川常白の父は現在の奈良県明日香村奥山の出身。(2)常白の生没は慶長十六年(一六一一年後水尾天皇即位の年)〜延宝四年(一六七六)。六十六歳。(3)常白の香の師の相国寺の芳長老とは巣松軒三世蘭秀等芳。寛永九年没八十四歳。時に常白二十二歳。(4)常白の芳長老への近侍は十歳すぎ頃から十年あまりか。この間香を聞く力を磨く。(5)金戒光明寺の墓は常白と弟操軒と子宗節及び兄弟の妻。(6)常白は「性豁達亦称佳人」。(7)東福門院から香木四十九種拝領に信任がうかがわれる。(8)弟の操軒は三宅寄斎(亡羊)晩年の弟子で儒学者として高名。寄斎を師に選んだのは,香に造詣が深く芳長老と交際があり常白とも面識があったからか。(9)常白の香の後嗣は操軒の長男一秀助之進(窄菴元収)。一秀の死後弟の医者玄察が家を継いだ。一秀を玄察とするのは誤り。(10)一秀助之進の生没は,明暦元年(一六五五)五月生,元禄十五年(一七〇二)九月二十六日没。四十八歳。(11)一秀助之進の伝記は清水記林の「香道系図」が唯一のもの。(12)米川家の香は二代で終わらず最後の当主一敬にも香の弟子があった。(13)そのほか香道関連事項を列挙紹介する。