著者
舘野 正美
出版者
立命館大学 アジア・日本研究所
雑誌
立命館アジア・日本研究学術年報 (ISSN:2435421X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-19, 2023 (Released:2023-09-20)

Toho 吐方(emetic remedy)is one of the three distinctive techniques in traditional Chinese/Japanese medicine. In the Edo era 江戸時代 in Japan, it is alleged that Okumura Ryochiku 奥村良筑(1689–1761)was the pioneer of this medical technique, and after him, his disciples Nagatomi Dokushoan 永富独嘯庵(1732–1766), Ogino Daishu 荻野台州(1737–1806), and Tanaka Hitsudai 田中必大(1725–1801)succeeded him both in practice and theoretical formulations. At the same time, Emi Sanpaku 恵美三白(1707–1781)implemented it in his own method. However, it was an extremely difficult technique for the followers to emulate. Therefore, we cannot find any further practitioners in his school. Then, Nakagami Kinkei 中神琴渓(1744–1833)integrating the attainments above, establishing this method as one of his repertoire of treatments. Though his achievement was also enormously challenging for his apprentices to follow, they efficaciously succeeded even in a part of it, as he taught them diligently. Kako Kakushu 加古角洲(1776–1832)was one who practiced it, and Kitamura Ryotaku 喜多村 良宅(18C-19C)was another who predominantly used it in the treatment of psychiatry. Finally, Watanabe Kunʼyo 渡邉君耀(19C)described those phases almost at the end of the Edo era in one short work. We should learn the philosophy but just clever techniques from them for our medicine today.
著者
山田 利明 三浦 国雄 堀池 信夫 福井 文雅 舘野 正美 坂出 祥伸 前田 繁樹
出版者
東洋大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1991

平成3・4年度にわたる研究活動は、主に分担課題に対しての研究発表と、提出された資料の分折・カード化などを行い、分担者全員にそれらのコピーを送付して、更なる研究の深化を図った。それぞれの分担者による成果について記すと、山田は、フランスにおける道教研究の手法について、宗教研究と哲学研究の2方法とに分けて論じ、坂出は、フランスの外交官モーリス・クランの漠籍目録によって、フランスの中国宗教研究の歴史を論じ、舘野は、道家思想にあらわれた時空論のヨーロッパ的解釈を論じ、田中は、中国仏教思想のフランスにおける研究法を分折し、福井は、フランス所在の漠籍文献の蔵所とその内容を明らかにし、さらに、堀池は近安フランスの哲学者の中にある中国思想・宗教の解釈がいかなるものかを分折し、前田は、フランスの宗教学者による宗教研究の方法論を論じ、三浦は、フランスのインド学者フェリオザのヨーガ理解を分折し、宮沢は、フランス発行の『宗教大事典』によって、フランスにおける中国宗教研究の理解を論じた。以上の所論は『成果報告書』に詳しいが、総体的にいえば、フランスの東洋学が宗教に着目したのは、それを社会現象として捉えようとする学問方法から発している。二十世紀初頭からの科学的・論理的学設の展開の中で、多くの研究分野を総合化した形態で中国研究が発達したことが、こうした方法論の基盤となるが、それはまた中国研究の視野の拡大でもあった。本研究は、フランスの中国宗教研究を、以上のように位置づけてみた。つまり、フランスにおける中国宗教の研究についての観点が多岐にわたるのは、その研究法の多様性にあるが、しかしその基盤的な立脚点はいずれも、社会との接点を求めようとするところにある。