著者
舩木 恵子
出版者
日本ピューリタニズム学会
雑誌
ピューリタニズム研究
巻号頁・発行日
no.4, pp.70-80, 2010

In this paper, I propose a strong contribution of the nineteenth century Unitarian feminists upon the twentieth century's crusade for women's rights. Numerous studies have been performed concerning the Women's Suffrage movement of the twentieth century and the history of women's political thought from the early eighteenth century to the present. On the contrary, there have been few investigations focusing on the Unitarian feminist movement; therefore, I present this research, based upon Autobiography by Harriet Martineau, who was an influential Unitarian writer of the Victorian era. Reference will also be made to reports published in The English Woman's Journal that relate to Unitarian society.
著者
舩木 恵子
出版者
慶應義塾福澤研究センター
雑誌
近代日本研究 (ISSN:09114181)
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-31, 2004

特集・小幡篤次郎没後百年小幡篤次郎によるJ ・S ・ミルの『宗教三論』の翻訳が、丸屋善七商店から明治十年(一八七七年) に出版されてから百年以上の年月が経った。その間日本におけるJ ・S ・ミル研究は活発で、ミルの多くの著作が翻訳され欧米との学問的交流も頻繁におこなわれてきた。特にトロント大学出版からミルの書簡や草稿を含む『ミル著作集』全三十三巻が刊行されてからは格段の進歩をとげている。しかし不思議なことにミルの遺稿『宗教三論』の翻訳は現在に至っても小幡篤次郎の翻訳以外に存在しない。遺稿である『宗教三論』はミル自身が編集、出版したわけではなく、ミルの死後に宗教関係の著作として三つの論文がまとめられて出版されたものである。第一論文「自然論」は、ミルと妻ハリエットの書簡によれば、ミルが三年三ヶ月の構想の末一八五四年二月五日に完成させた重要な著作であり、その次に書かれた第二諭文「宗教の有用性」もミルが残したプランに含まれる著作であるという。この二つの論文が書かれた一八五〇年代というのは、ミルはハリエットと共に肺病に冒されて死を覚悟した時期として有名である。書簡によればこのプランは、ミルが「自然論」を完成させた後に最悪の健康状態の中で、自分の生存中に是非書いておきたい十二のテーマを妻ハリエットへ送付したものであるという。前述のように、その中には小幡篤次郎が「教用論」として翻訳した『宗教三論』第二論文「宗教の有用性」(一八五四年) (Utility of Religion)も含まれている。以後このプランに沿って『自由論』(一八五九年)、『功利主義論』(一八六三年)、遺稿「社会主義に関する諸章」(一八七九年)などが現実のものとなっている。プランは左記のようなものである。① Defense of Character 性格の相異について (国、人権、年齢、性別、気性など) ② Love 愛③ Education of taste 慎みの教育④ Religion of l'avenir 将来の宗教⑤ Plato プラトン⑥ Slander 中傷⑦ Foundation of Moral 道徳の基礎⑧ Utility of Religion 宗教の有用性⑨ Socialism 社会主義⑩ Liberty 自由⑪ Doctrine that causation is Will 原因としての意思学説⑫ Family and Conventional 家族と習慣小幡篤次郎が翻訳した『宗教三論』第二論文はプランの八番目に論文タイトルそのままで存在している。また内容的には④ の「将来の宗教」も含まれている。但しこのプランに入っていない第一論文「自然論」はこのプランの直前、一八五四年に書き終え、引き続き第二論文に着手したことが、ロブソンによるミルとハリエットの書簡分析によって明らかになっている。この事実から小幡篤次郎の『宗教三論』の翻訳は、一八五〇年代のミルのプランに基づいた論文を日本に導入したものとして、『自由論』や『功利主義論』などの導入と同様にミル研究において価値あるものといえるだろう。本稿ではJ ・S ・ミル『宗教三論』のミル研究における特殊性を述べた後、小幡篤次郎の明治十年と十一年の『宗教三論』の翻訳を分析する。さらに第一、第二論文だけがなぜ出版され、なぜ第三論文は翻訳されているにも関わらず、出版されなかったのかという出版の経緯も推察する。それについては、小幡篤次郎の明治元年の著作『天変地異』を参照しながら、『宗教三論』第一論文「自然論」との関係を論じることにする。