著者
荻野 繁春
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.8, no.12, pp.93-107, 2001-10-06 (Released:2009-02-16)
参考文献数
27

ローマ時代の食文化を彩った擂鉢文化は,ローマ帝国の拡大と文化の深層を探る上でも重要な要素である。その擂鉢文化を構成する中心がモルタリアあるいは擂鉢と呼んでいるローマ陶器であるが,時代によってはこうした容器の意味するところに違いがあり,共和政期ではむしろモルタリア文化としてみる方が時代性をよく反映し,その上モルタリア文化の存在は,帝政期の擂鉢文化の存在をも明らかにする。まず共和政期のモルタリア文化を文献から明らかにした。つまりモルタリアが登場する最古のラテン語論文,大カトの『デ・アグリ・クルトゥラ(De Agri Cultura)』(紀元前2世紀初頭頃の作品か)に描き出されているモルタリアを抽出し,モルタリアがどのような場面でどのような使われ方をしているか明らかにした。それによると,一概に擂鉢のような「擂る」道具としてだけではなく,パンやケーキの生地を「練る」容器として使われている場面がいくつかある。この点で,擂鉢としてではなくモルタリアとして多様な用途を考えた方がよい時代でもあり容器であることがわかった。さらにエトルリアの壁画を資料としてあげながら,モルタリアがどのように使われていたかを指摘した。次に共和政期のモルタリアについて,イタリア半島のモルタリアと東地中海のモルタリアとを考古学的に比較検討した。そしてヘレニズム後期のモルタリア文化を明らかにした。大カト時代と同時代のイタリア半島におけるモルタリアとして,型式学的にエトルリアのロセト型を設定した。帝国時代の陶器研究においては,この種のモルタリアがwall-sided rim type(筆者の複合口縁部タイプ)と称されているものであるとした。そして紀元前4世紀後半から紀元前2世紀前半にかけての編年を明らかにするなかで,大カトの論文に登場するモルタリアの特徴とロセト型の形態的特徴が合致するとの結論に達した。ヘレニズム後期の東地中海地域におけるモルタリアとの比較では,イスラエルのテル・アナファ遺跡出土のモルタリアを分析して,ヘレニズム期から帝政期初期にかけてのモルタリアの変遷を明らかにし,特に高台の特徴にロセト型との類似を指摘した。