著者
藤田 彰典
出版者
京都文化短期大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1986

大黒屋杉浦は, 三郎兵衛を襲名し, 貞享年代(1684〜87)近江国高島郡から京都に出て呉服の仕入店を, 江戸には営業店をそれぞれ開店し, 江戸では「十組諸問屋」仲間に, 京都は「呉服店廿軒組」に所属するなど, 京都店・江戸店とも営業の発展をみて, 有数の呉服店(豪商)に成長していった.明治以降も, 呉服商大黒屋三郎兵衛店の営業は発展していくが, 大正12年(1923)には資本金20万円の株式会社杉浦商店を設立する. そして東京を本店に, 京都を出張所に変更したことから, 京都店は休業状態となって昭和31年(1956)に処分されたが, 東京店は大三株式会社の社名をもって今日に続いている.その大黒屋杉浦は, 4代の杉浦三郎兵衛利喬が, 石田梅岩の門に入って「心学」をきわめ, 石門心学を経営理念とした特色ある商家として注目される. 研究の成果としては, 1.大黒屋杉浦は江州の琵琶湖西岸を出身地とする武家に系譜を持つ近江商人であった. 2.杉浦家は代々子供に恵まれなかったことから, 分家による同族の拡大はみなかったものの, 同郷の坂江家一族との血縁的関係をもって同族団の成立をみた特徴がみられる. 3.そのためか, 店員のほとんどは江州高島郡の出身者でしめられ, 別家制度が充実をみていた. 4.ことに大正7年(1918)の店員規定は, 現代雇用制度の先駆的内容をうかがわせる. 5.それも, 大黒屋杉浦三郎兵衛店が, 江戸時代から石門心学を店の経営理念としてきたことによるものであって, 鴻池や小野組の豪商, 三井や住友などの財閥の経営とは趣を異にするものがある.以上, 大黒屋杉浦は, わが国商家経営の一つの特色を示しているが, 家憲及び石門心学の実践, 別家制度等については, 今後引続いて検討を深めていく必要がある.