著者
藤谷 厚生
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要
巻号頁・発行日
no.64, pp.一-十五, 2017-09-25

『真言修行大要鈔』は浄厳律師が、元禄三年(一六九〇)七月に真言密教での修行の要諦を述べ著した典籍である。浄厳律師(一六三九〜一七〇二)は、字を覚彦と言い、妙極堂、瑞雲道人と号した江戸初期の真言律の僧である。律師は、河内国錦部郡鬼住村の上田道雲の子として生まれ、幼少から高野山に登り顕密を修学し、後に密教の諸流を研鑽統合して新安祥寺流を創草するなど、特に密教事相の面で多大な功績を残している。延宝五年(一六七七)には故郷河内の実家を改めて延命寺を創建し、さらに江戸に赴き元禄四年(一六九一)には柳沢保明の推挙により、幕府の助力により江戸湯島に霊雲寺を開創し、これを如法真言律の道場として多くの僧俗に授戒するなど、戒律の普及と真言密教の復興に尽力したのであった。 本稿では、江戸初期の仏教復興の流れの中で、如法真言律を唱え、関東を中心に真言宗と戒律の布教を行った浄厳律師の著述についての一研究ノートである。特にテキストである『真言修行大要鈔』を読み解くことにより、律師が主張する真言宗の修行の特徴、阿字観や本不生についての論説をここに明確にしようとするものである。以下に『真言修行大要鈔』(文献資料)を翻刻して、各節ごとに語注を付し、解説ノートを加えて要旨を述べる。"
著者
藤谷 厚生
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.68, pp.49-59, 2019-09-25

聖徳太子信仰の萌芽は、すでに奈良時代に見ることができ、『上宮太子菩薩伝』や平安時代に成立する『聖徳太子伝暦』などの伝記資料が、その先駆と位置づけられているということは周知の話である。しかし、実際的な太子信仰の進展は平安時代中期以降に見られ、それは主に念仏聖たちによる一信仰形態として、日本仏教の展開の中では極めて重要な意味を持つと考える。本稿は、特に聖徳太子信仰の拠点である二上山の東に存在する叡福寺の太子廟、浄土信仰のメッカでもあった當麻寺(当麻寺)、さらに極楽の東門として位置づけされた四天王寺を結ぶ大阪から二上山を巡る竹内街道に焦点をあてながら、古代から中世に見られる思想的、信仰的変遷の特徴に論及しようとする一研究考察である。
著者
藤谷 厚生
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.205-219, 2018-09-25

本稿は、華厳経の入法界品で、善財童子の悟りの完成のために普賢菩薩が説いたその行願(普賢行)の内容理解のための一研究ノートである。テキストとしては、不空三蔵訳(8c 中頃)の『普賢菩薩行願讃』(大正蔵経第10 巻880 上段以下)の62 頌を用い、足利惇氏先生の「普賢菩薩行願讃の梵本」(京都大学文学部研究紀要4 号[1956 年])や般若三蔵による同本異訳とされる華厳経(四十巻)の「入不思議解脱境界普賢行願品」(以下、四十華厳・普賢行願品と略)の普賢広大願王清浄偈などを参照しながら、できるだけ原本の意に即すように書き下し、邦訳としてここに翻刻した。特に四十華厳「普賢行願品」には、この普賢菩薩の十大行願については、 「 若欲成就此功徳門。應修十種廣大行願。何等爲十。一者禮敬諸佛。二者稱讃如來。三者廣修供養。四者懺悔業障。五者隨喜功徳。六者請轉法輪。七者請佛住世。八者常隨佛學。九者恒順衆生。十者普皆迴向」(大正蔵経第10 巻844 頁中段24 行目)とあり、本稿では便宜上これに随い、本文の内容を「礼敬諸仏」「称讃如来」「広修供養」「懺悔業障」「随喜功徳」「請転法輪」「請仏住世」「常随仏学」「恒順衆生」「普皆廻向」の十種とそれに付随する小見出しを附して区分し、それぞれの本文書き下し訳に、語註や解説ノートを加えて要旨を述べ、末尾には四十華厳「普賢行願品」の普賢広大願王清浄偈を書き下し邦訳して参考として付した。
著者
藤谷 厚生
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:13490850)
巻号頁・発行日
no.61, pp.一七-三二, 2015