- 著者
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虻川 嘉久
- 出版者
- 大館郷土博物館
- 雑誌
- 火内 (ISSN:24360074)
- 巻号頁・発行日
- vol.17, pp.86-64, 2023-03-31 (Released:2023-08-16)
- 参考文献数
- 14
『下遠家文書』(№五十三)「義宣公様慶長七年七月中当国江御下国被遊候節…」を解読した。それによると、慶長七年、佐竹氏は常陸から出羽へ国替えとなった。その際、阿仁・比内地方の仕置きには赤坂朝光が先発として、押さえには小場義成が命じられた。これに対し在地の土豪や百姓などによる大阿仁・小阿仁・南比内小森の一揆騒動が起こるが、赤坂氏らによって沈静化される。慶長八年、赤坂朝光や家臣団は二井田村に移った。二井田館が比内地方統治の拠点となったことが推測される。慶長十年、赤坂朝光は十二所に移り、慶長十五年には小場義成が檜山から大館に入城した。その経緯については、『大館市史』などの記述とは若干の相違がみられた。また、比内地方に移入してきた多くの家臣団を確認できた。本稿では㈠赤坂朝光とその配下、㈡忍大隅・川井若狭・近藤六郎兵衛・近藤杢左衛門、㈢部垂給人、㈣長倉衆、㈤保内給人、㈥小場義成とその家中、に分類した。二井田村に居住していた部垂給人は大館に、保内給人は十二所に配置されたことが明らかとなった。