著者
TRENSON Steven (2010) 西山 良平 (2008-2009) TRENSON Steven
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

平成22年度は、醍醐寺の龍神信仰の日本中世の宗教における意義についての研究をまとめる作業をした。本研究の主眼は、醍醐寺の龍神信仰の日本中世の宗教における重要性に光を当てることである。日本宗教史学では11世紀末~12世紀初めに真言密教思想を基層とする日本中世の宗教が確立したとされているが、この真言密教思想の内容と特徴が十分に理解されているとは限らない。というのは、中世の真言宗の神髄が宝珠信仰にあることはすでに先学の研究によって明らかにされたが、この宝珠信仰の内容、そしてその成立と展開については、なお検討する余地が多いのである。しかし、11世紀末~12世紀初めの醍醐寺(真言宗の主要寺院の一つ)では龍神信仰が発達し、その後、その信仰が醍醐寺を中心とする宗教ネットワークの中で広まった。それゆえに、龍神信仰が宝珠信仰と不可分であるので、日本中世の宗教の形成史と有様を解明するために、醍醐寺の龍神信仰とそれと直接にかかわると考えられる諸宗教形態(神道灌頂、玉女信仰、室生山や三輪山の龍神信仰、宇賀弁財天信仰など)について検討することにした。この研究の成果・意義として主に次の点があげられる。(1)真言宗の宝珠信仰(仏舎利と龍神の宝珠との同体説)が、まず真言宗の雨乞儀礼を背景に展開し、その後、醍醐寺の密教の根本教義として伝承されたという点。(2)中世の醍醐寺では、龍とその宝珠が、天地陰陽及び両部曼荼羅(胎蔵と金剛界)を一体化する霊物と見られたが、その化身がほとんど女性の密教の神(仏眼、愛染明王、ダキニ天)であるという点。(3)醍醐寺で葬られていた白河院の中宮賢子が"玉女"(女性として現れる宝珠)として崇敬され、その崇敬が宝珠を女性の神と見る観点を促した可能性。(4)神道・即位灌頂の本尊が宝珠の女性の化身であるという説、(4)醍醐寺の龍神・宝珠信仰が地方の霊場(伊勢神宮室、生山、三輪山)へ伝承され、この信仰こそがこれらの霊場と縁が深い両部神道の基盤となったと考えられる点である。