著者
西川 寿勝
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.7, no.10, pp.25-39, 2000-10-04 (Released:2009-02-16)
参考文献数
40

弥生時代中期,わが国に漢式鏡が舶載されはじめる。舶載鏡の大半は異体字銘帯鏡と呼ばれる前漢後期の鏡である。この鏡は北部九州の限られた甕棺墓から大量に発見されることもある。卓越した副葬鏡をもつ甕棺墓の被葬者は地域を統率した王と考えられている。しかし,その根拠となる副葬鏡の製作・流通時期や価値観については詳細に評価が定まっていない。また,大陸の前漢式鏡中に位置づけた研究も深化していない。著者は,これまでに中国・日本で発見された700面以上の異体字銘帯鏡を再検討し,外縁形態と書体をそれぞれ3区分し,その組み合わせで都合7型式を設定,編年を試みた。あわせて,各型式における鏡の価値観の違いを格付けし,もっとも上位に位置づけられる大型鏡は前漢帝国の王侯・太守階級の墳墓から発見される特別なものであることを確認した。大陸での異体字銘帯鏡の様相にもとづき,わが国発見の異体字銘帯鏡を概観した結果,今から約2000年前にあたる紀元前後(弥生時代中期末~後期初頭)に,型式と分布の画期をもとめることができた。その意義について,中期に発展した玄界灘沿岸の勢力が後期になって斜陽となり,西日本各地に新勢力が萌芽する様相がうつしだされたものと考えた。
著者
西川 寿勝
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.6, no.8, pp.87-99, 1999-10-09 (Released:2009-02-16)
参考文献数
44

弥生時代の墳墓や古墳から発見される舶載鏡は大陸のどこからもたらされたのか。私は中国出土鏡について,地域ごとに鏡式と組成(発見頻度)を分析した。その結果,わが国出土の鏡群は中国のどの地域から発見される鏡群とも合致しなかった。しかし,楽浪郡地域(北朝鮮平壌付近)発見の鏡にかぎり,鏡式と組成ともにほぼ合致した。鏡は楽浪郡など辺境の地でも製作されたのだろうか。後漢~魏の都だった洛陽を分布の中心にもつ四鳳鏡を例に,分布の中心地域で発見される四鳳鏡と分布の辺縁部で発見される四鳳鏡を比較した。すると,分布の中心で発見される鏡は典型的な紋様や構成要素をもっ典型種鏡であることに対し,分布の辺縁部には紋様や構成要素に欠落や変更のある亜種鏡が多数存在した。四鳳鏡に限らず他の鏡式にもそれぞれの亜種鏡が抽出できる。このことは中国各地に鏡工人が存在し,鏡をつくっていた可能性を示す。楽浪郡地域発見の鏡にも中国に典型種鏡をもつ亜種鏡が多く存在した。この地でも活発な鏡生産があったことを解き,楽浪鏡を設定した。楽浪鏡はわが国に多数舶載され,一部は紋様や銘文が同一の鏡もみられた。次に,正倉院の鏡を中心に唐式鏡を概観した。そして,金銀の平脱・象嵌や螺鈿などによる宝飾鏡,貼金・鍍金の宝飾鏡,精緻な紋様の大型鏡,踏み返しにより量産される中・小型鏡など,鏡は格付けできることを示した。最上位に格付けできる宝飾鏡は戦国・前漢時代の王墓をはじめ,各時期のものがある。鏡の格付けは鏡の普及段階から成立していたことがわかる。最上位の鏡が王の鏡として格付けできるなら,魏王から邪馬台国女王に下賜された鏡にも最上位の鏡が含まれていた可能性がある。しかし,卑弥呼の銅鏡と推定される三角縁神獣鏡は宝飾がなくつくりも粗い。私は卑弥呼に下賜された銅鏡はすべての鏡が等質に作られたとは考えず,卑弥呼の手元に残すべき最上位に格付けできる宝飾鏡がいくつか存在したと推定する。この宝飾鏡は都洛陽で製作されたものである。しかし,宝飾鏡を見本にして配布用の三角縁神獣鏡が量産されたとすれば,その製作地は洛陽に限る必要はない。一部の三角縁神獣鏡は紋様や技法に楽浪鏡と極めて深い関係がある。私は三角縁神獣鏡が楽浪郡で創出されたと推測する。そして,三角縁神獣鏡は卑弥呼からさらに下位のものに分配されたと考える。
著者
西川 寿勝
出版者
古代学協会
雑誌
古代文化 = Cultura antiqua (ISSN:00459232)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.365-372, 2016-12