著者
覚張 シルビア
出版者
東京大学
雑誌
Slavistika : 東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報
巻号頁・発行日
vol.20, pp.19-33, 2005-03-31

レフ・トルストイの作品において、登場人物による精神的探求は、知的・理性的領域よりも、むしろ無意識層にて解決をみることが多い。そうした視点から、無意識世界が大いに投影される夢と記憶に焦点を当てる。夢・記憶の分析を通して、トルストイの生死観の一端を明らかにすることが、本論文の目的である。1869年の夏、領地を買いに出かけたトルストイは、馬車の中で眠りから覚めると同時に、「生きながらにしての死」という恐怖(アルザマスの恐怖)を体験する。『復活』の主人公ネフリュードフは、同様の精神状態を、記憶によって引き出された過去が現在を崩壊することによって、感じることになる。他方、『戦争と平和』のピエール・ベズーホフにおいては、彼の人生の師ともいえるプラトン・カラターエフの死についての記憶と、楽しく快い思い出が同時に甦り、死に際して生を体験したということができる。ピエールは、絶えず人生の意義を模索し、不安定な状態にあったが、カラターエフの死後、水滴に覆われた地球儀の夢を見たことにより、精神的調和が得られた。アルザマスの恐怖に基づいて書かれた『狂人日記』の主人公やネフリュードフにおいては、夢や記憶によって、物質的安寧の上に成り立つ外的・表面的調和を崩されたが、それによって、真の調和に到達する可能性を与えられたともいうことができる。ピエールの夢に現れる地球儀と水滴の関係の分析は、トルストイ後期作品の主人公イワン・イリイチやアンナ、カレーニナを、死との関係において理解することを容易にする。地球儀の中心、つまり神の方へと向かう水滴は、死にゆく人間になぞらえられる。死に際して、水滴は動揺し、空間上の位置を失うが、それと同時に生存中の直線的時間は永遠性のうちに取り込まれていく。意識を失ったイワン・イリイチは黒い袋の中でもがき、アンナはペテルブルグへと向かう列車の中で、ウロンスキーとの邂逅による印象のもとに、時間・空間的、また個人としての感覚を失うが、こうした感覚の喪失こそが、彼らを神の方へと近づけるのである。アンナはこの出会いによって社会的死へと向かうのであるが、それによって、外的調和を失った真の生と対峙させられる。かくして、夢や記憶という無意識層は、人間を死に近づけるとともに、本来の生へと回帰させる可能性さえ孕んでいるのである。