- 著者
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谷 彌兵衛
- 出版者
- 林業経済学会
- 雑誌
- 林業経済研究 (ISSN:02851598)
- 巻号頁・発行日
- vol.47, no.2, pp.1-8, 2001-07-16
17世紀のはじめ,大坂市場に登場した吉野材は他と差別化された内実をもち,とりわけ小径木の洗丸太が著名な産物であった。18世紀になると,上方の酒を入れる樽丸生産が盛んになり,以後,杉檜丸太と樽丸に特化されていった。吉野材は主として吉野川・紀ノ川を利用して和歌山へ流送され,和坂の材木問屋を通して販売された。それを安全かつ円滑に進めるために,吉野川が開削され,材木の輸送方法や流通・販売機構が整備された。材木の伐出し・販売=材木業に携わったのが材木商人で,その組織が材木方(同業組合)であった。材木の伐出しから販売までの過程の成否が材木商人の命運を決した。材木商人は,奥郷(山元)の商人と口郷(中流域)の商人に大別される。奥郷の商人は,百姓身分の商人で,重立商人・中位商人・小前商人の3階層から成っていた。このうち中位商人が中核的な役割を演じた。しかし,奥郷材木商人の経営は不安定で,一部を除き資本蓄積をなし得なかった。