著者
谷口 榮
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.118, pp.137-164, 2004-02-27

東京都東部に広がる低地帯を東京低地と呼んでおり,隅田川以東の現在の葛飾・江戸川・隅田・江東区域は歴史的に葛西と呼び慣わされてきた。江戸時代,葛西は江戸近郊の行楽地として,多くの江戸庶民が足を運んだ。その様子は,十方庵敬順の『遊歴雑記』や村尾正靖の『嘉陵紀行』など当時の史料からうかがい知ることができる。本稿では,江戸人が訪れた葛西地域の景観はどのようなものであったのかを探り,その景観的特徴から東京低地に位置する葛西の地域性の一端を明らかにすることを目的とした。分析の結果,葛西の景観の特徴として,眺望の利く「打闢きたる曠地」と,川辺を中心とした川沿いの風景であると指摘することができた。葛西は,河川が集中し,低地ならではの起伏の乏しい平らな土地といえる。その土地には「天然なる奇麗にして眺望いわんことなし」と,水辺には蘆荻が繁茂し,開けた土地には草花・木・鳥などの自然の織り成す「天然」があり,また眺望の素晴らしさが江戸の人々から好まれていたことがわかった。中川や小合溜には釣人が集う格好の憩いの場ともなっていた。18世紀以降,江戸庶民の「延気」の場として『江戸名所図会』の中でも紹介されるようになった葛西は,江戸の人々を受け入れるために,寺社仏閣や信仰だけでなく,茶屋などの休み処が設けられ,川魚料理などの名物や花名所を整備したり,江戸と行楽地葛西を結ぶ曳舟川に引舟を運行するなど,行楽地としての舞台装置が整えられていったのである。しかし近代以降,荒川放水路開削に伴いかつて葛西と呼ばれた広大な開けた土地が分断されてしまう。さらに関東大震災と第二次世界大戦という二つの災害を契機として,都市化という波に浸食されながら,江戸の人々に愛された葛西の風景は,川の汚れとともにその面影を失ってしまった。