著者
赤井 朋子
出版者
神戸薬科大学
雑誌
神戸薬科大学研究論集 : Libra (ISSN:13452568)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.13-32, 2002-03-25

イギリスでは1920年代に演劇検閲に対する関心が高まり,メディアによる検閲批判が目立つようになった。その批判の内容を検討すると,検閲の寛容な面を批判する言説と逆に検閲の厳格な面を批判する言説の両方が存在したことがわかる。演劇検閲は両極端の見解が交錯する中に存在していたわけであるが,その背後に,高級な演劇と低級な演劇を区別する当時の文化的状況(具体的に言えば商業演劇と小劇場への二極分化)を指摘することができる。そのような状況の中で検閲官は,両極端の見解の中間をとった民主的な検閲を行うと公言したが,実際にはそう公言することによって,検閲は中産階級の一般観客を演劇の影響力から巧妙に保護しようとしたのではないだろうか。
著者
赤井 朋子
出版者
神戸薬科大学
雑誌
神戸薬科大学研究論集 : Libra (ISSN:13452568)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-31, 2003-02-20

ジョン・ヴァン・ドゥルーテンの『若きウッドリー』は、1925年に一度検閲で上演禁止になったが3年後に認可された。この作品には、検閲において禁止事項とされたものはいっさい含まれていなかったが、認可と上演禁止の境界線上に位置した劇で、作品の微妙な描き方をしている点が検閲官に不安を与えた。検閲の一次資料を調べると、言葉の表現における「節度」という点が問題視されたことがわかるが、おそらく上演禁止になった理由はそれだけではないだろう。資料には明示されていないが、さらに検討していくと、微妙な描き方をしたこの作品には、ダブルスタンダードの否定や階級の流動性といった点が読み取れる「可能性」のあることが判明する。そのことが検閲官に漠然とした不安を与えたのではないだろうか。この戯曲は、作品の微妙で繊細な要素を残しながらも検閲官の危惧を最小限に抑えるような演出をすることによって、その後上演を許可され、公演も興行的に成功する。検閲は一方的に表現の自由を奪うものではなく、むしろ検閲する側とされる側が互いに影響を及ぼしあうことによって、新たな何かを産み出すこともあるものだと言えるが、この戯曲の検閲はその一例を示している。