著者
辰已 知広
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.98-119, 2021-07-25 (Released:2021-08-25)
参考文献数
34

森英恵は1954年より日活を筆頭に、複数の映画会社のために衣裳デザイン並びに製作を行い、映画産業に大きく貢献した。衣裳は照明や音楽と同様、製作において高い技術が求められるとともに、映画の印象を決定付ける重要な要素である。本稿は森の仕事に注目し、『憎いあンちくしょう』(蔵原惟繕監督、1962年)において浅丘ルリ子が着用した、森による衣裳を中心に作品分析を行う。その際、アーウィン・ゴッフマンが提唱した「行為と演技」の概念を手掛かりに、浅丘による登場人物の生成において、「演技」と衣裳が如何に密接に関わっているかを指摘する。1960年代前半における女性表象を概観すると、衣裳は女性性を強く打ち出すスタイルが中心であり、男女二項対立を前提とした物語世界に奉仕する役割を担っていた。一方『憎いあンちくしょう』では、男性も女性も「演技」を通じて自己の望むものへと向かって「行為」をしており、その意味が衣裳に込められた点において、アクション一辺倒であった日活の新基軸として評価できる。また、男性登場人物の分析に偏った先行研究とは異なり、自ら行動する浅丘が役を通じて規範からのずれを垣間見せる姿について、衣裳に加えてカメラワークからも把握することを試み、男性主人公に引けを取らない重層的な女性像を明らかにする。さらには浅丘のキャリアを振り返り、日活における女性表象の変遷と日本映画史との関わりを考察する。
著者
辰已 知広
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.39-48, 2020

本稿は, 1954年に映画製作を再開した日本の映画会社「日活」の歴史を, 衣裳の検証を通じて解明することを試みるものである. 映画衣裳については, 欧米の研究者が1970年代頃よりその重要性を指摘し, 直近三十年程で研究を充実させた経緯があるものの, 日本映画の衣裳そのものを詳細に分析した先行研究はほとんど存在しない. こうした状況に鑑み, 本稿では, 日活が一時中断していた映画製作を再開した1954年から62年までに公開された代表的な作品を取り上げ, 日活の歴史とその独自性を, 衣裳を通じて振り返るとする. 第1節では, 日活専属のスクリプターであった白鳥あかねの証言をもとに, 当時の日活が森英恵に多くの衣裳製作を依頼していたことや, 撮影所システムの下で衣裳がどのように扱われ, 最終的に決定に至ったのかを明らかにし, 整理する. 続く第2節では, 文芸作品からエンターテイメント路線への変更によるアクション作品までにおける, 特徴的な男女の衣裳をピックアップし, それらの機能や意味を, 日活衣裳部員の証言を交えつつ, 時代の流れや風俗と共に考察する. 最後に第3節では衣裳の変遷をジェンダーの観点から捉え, 当時の日活が「男性路線」と言われつつも, いかに女性観客を意識した男性像を視覚化していたかを論証し, 結論へと導く.