著者
沢水 男規
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.47-58, 2018

本論文は怪獣映画『ガメラ3邪神<イリス>覚醒』(1999年)における京都の表象について論じるものである. 第一節では本作において怪獣たちが京都の街並みをどのように破壊しているかを分析し, 本作における京都の破壊が他の都市の破壊よりも小さい規模で描かれていることを示す. 第二節では他の映画作品を参照し, 特撮映画というジャンル全般における京都の表象の特徴を見出す. 第三節では京都という都市に対して本作の作り手が抱いていた「京都らしさ」の実態を考察し, 本作における京都の表象に偏りが生じた要因を明らかにする. 本作における京都の表象は, 怪獣映画における都市の破壊, および映画における京都の表象に関する議論の中で従来十分に論じられてこなかった. 本論文は映画における京都の表象に関する議論を発展させ, 新たな視座を加えることを試みる.
著者
福田 安佐子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科共生人間学専攻
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.55-68, 2016

ゾンビとは, 歩く死者, 生きている死者と呼ばれ, それは, 腐敗した身体を引きずってのろのろと動き, 集団で人問に襲いかかる.噛み付かれた人間は, 生きたまま肉体を食われるか, うまく逃げたとしても, 自らがゾンビへと変化し, 理性や感情を失い, 他の人間を襲いはじめる.このようなゾンビ像は, 1970年を前後して.ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リピングデッド5をはじめとする三部作の世界的なヒットによって生み出された.しかしながら, 2002年以降のゾンビ映画は, そのより凶暴な特徴により〈走るゾンビ〉や〈ゲームゾンビ〉と呼ばれ, 従来のものとは異なるものとして説明されている. 木稿では, ゾンビ映画史を振り返りながら, 1930年頃に西カリブ諸島を舞台に生み出されたゾンビが, ロメロの作品によって, その造形と物語構成の点でいかに変容したかを説明する.この時, ロメロゾンビとは, 前述の特徴に加え, 人間に似た怪物, という特徴を獲得していた.一方で, ロメロゾンビは当時のホラー映画におけるゴアジャンルの影響を受けることで, より残虐性を増したまた別のゾンビ像を形成した, つまり, 人問に似た怪物としてのゾンビと, 腐敗しよりグロテスクなゾンビである.双方はともにそれぞれの仕方で観客の恐怖を煽った.く〈走るゾンビ〉においては, この二種類のゾンビが様々な仕方で一つの映画の中に共存している, この共存の特殊な事態にこそ〈走るゾンビ〉の特異性が存在することを明らかにする. We know what zombies are. They are referred to as the "walking dead" or "living, dead". They have started to decompose, zombies walk in a tottering. manner, and they attack humans en masse for flesh meat. If a zombie attacks someone, that person will either be eaten alive or if he is lucky to escape, the victim himself will transform into a zombie and start to attack others. Such an image of zombies was rendered around the 1970's, by the Zombie trilogy filmed by George Andrew Romero (Night of the Living Dead, Dawn of the Dead and Day of the Dead). However, zombie films produced after 2002 portray them in another way. Zombies in these films arc called "running zombie" or "game zombie" and it is explained that they are vastly different from Romero's zombies. In this paper, we reconsider the historical view of zombie films and how zombies, who were in fact born in the West Indian nation of Haiti around 1930, have transformed in terms of representation and narrative thanks to the influence of Romero's works. Romero's zombies, in addition to the above-mentioned features, were human-like monsters. Furthermore, the effect of the gore genre, where Romero's zombies are also classified, created another image of the zombie : the one with more brutality and blood-shed. These two types of zombies, one as a human-like monster and another more grotesque and bloody, exist in their own works and frighten audiences in their own ways. Yet, in works containing "running zombie", these two types of zombies co-exist in the same film in various ways. It is in this special co-existence that a specificity of the "running zombies" is found.
著者
渡辺 洋平
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.39-49, 2011-12-20

ドゥルーズは『差異と反復』(1968)において,「現代哲学の任務は「プラトニスムの転倒」と定義された」と書いた.この言葉は取りも直さず,自らの哲学がプラトニスムを転倒させるものであるという宣言に等しい.そこでドゥルーズが目指したのは,プラトンにとっては排除すべき対象だった「シミュラクル」と呼ばれる存在を復権することであった.しかしこの「転倒」は,より広範な意義を持っているように思われる.本論文では「プラトニスムの転倒」という主題を,シミュラクルから解放することで,より広範な領域へと開くことを試みる.ドゥルーズにとって,プラトニスムとはイデアという超越的な基準により,この世界に善悪を作り出す思想である.「プラトニスムの転倒」とは,こうした超越的な体制から内在的な体制への移行であり,そこでは,道徳とは異なるものとしての倫理的なあり方が目指されることになる.そしてこの移行は,あいだの問題,共同体の問題を通じて,自然との新たな共生へ,さらには世界の新たな形成へと向かっているのである.
著者
劉 守軍
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.67-82, 2011-12-20

宇都宮徳馬は, 第二次世界大戦後, 外交問題を中心に活躍し, 日ソ・日中・日朝国交回復に尽力し, 保守政治家の中でも数少ないリベラリストとして知られる. しかし, 彼は戦前に日本共産党に加入し, 「転向」をへて, 企業を営みながら官僚統制批判の言論活動に従事したという, 異色の知識人・自由主義思想家でもあった. このように日本の知識人の「政治」や「社会主義」, 「平和」に対する一つの特徴を示す存在である宇都宮について, 従来日本では, 一次資料にもとづく充分な検討がなされてこなかった. ことに, 戦後における彼の活動について, 思想史的な追及は不充分である. こうした研究状況を踏まえ, 本稿は戦後から1949年政界進出にいたるまでの宇都宮の思想と行動に焦点をあて, 戦前・戦中における官僚統制や軍部独裁への批判との連続性を意識しつつ, 戦後における彼の思想的立場, とりわけ戦後経済再建に関わる政策論の特徴とその史的位置を確認する.
著者
進藤 翔大郎
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.183-199, 2018

本稿は戦後日本で明るみになった, ソ連による対日工作活動であるラストボロフ事件および関・クリコフ事件として知られる事件を近年アメリカ国立公文書館で公開された一次資料を基に扱うことで, シベリア抑留帰還者を用いた米ソによる情報戦の一端を明らかにするものである. これらの事件を取り上げることで, 日本の敗戦直後から抑留帰還者を用いた米ソの熾烈な情報戦が展開されていた事実が浮かび上がるだけでなく, 講和条約後の1950年代全体を通して抑留帰還者を巡る米ソの情報戦が日本に影響を及ぼしていたこと, および, インテリジェンス上の日本の戦後の対米依存を垣間見ることができる.
著者
有森 由紀子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.43-56, 2014-12-20

本論文は, 映画監督・脚本家プレストン・スタージェスのスクリューボール・コメディ2作品『偉大なるマッギンティ』(The Great McGinty, 1940) と『サリヴァンの旅』(Sullivan's Travels, 1941) について考察を行う. 両作品はスタージェスの優れた喜劇の才能が発揮された作品であると同時に, 大恐慌というアメリカの歴史・社会的状況を反映し, アメリカン・ドリームと現実の乖離がもたらす悲劇も描く. 両作品の主人公は, 子供らしい無知と無邪気さを備えた典型的「スクリューボール」である. 彼らは階級間移動を試みて挫折を味わう一方で, スクリューボール・コメディに相応しいハッピーエンド=恋愛の成就に至る. 夢に破れる主人公の悲劇が, ジャンルの掟と拮抗し, いかにしてスタージェス独自のスクリューボール・コメディへと結実していくのかを明らかにする.
著者
河田 淳
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.27-37, 2011

本論文は,《慈悲の聖母》図像の表現にペストが与えた影響を明らかにすることを目的とする.この図像は,ひざまずく信徒たちをマントで覆うマリアを表わしたもので,13世末から16世紀半ばにかけてイタリア,フランス,ドイツ,ネーデルラントなどで広まった.第一章では,この図像が『詩篇』に登場する「翼をもつ神」のイメージを踏まえたもので,理想的な共同体としての教会を象徴している点を示した.第二章では,この図像がペストから人びとを守護するとみなされた背景に,マリアが神やキリストへ人びとを執りなす仲裁者として信仰された点を指摘した.第三章では,1347年以降に制作された作品のなかでも,マントの外側でペストの矢を受けて倒れている人びとがいるものを取り上げ,慈悲による救済が選択的に表されている点に着目した.ペスト流行期の《慈悲の聖母》図像には,慈悲が信仰を対価に取引されるさまが表されているのである.This paper reveals how the plagues influenced on the Iconology of the "Virgin of Mercy". This figure spread throughout Italy, Germany, France and the Netherlands from the end of the 13th century to the middle of the 16th century. I examine some works of the figure not only from the view of art history but also from social history ―the history of mentality―, for tracing the medieval notion of Mercy. First, I show that the figure was based on the image of winged God in the Judea-Christt ext (Psalm : 91, 4-10) and that it implied the church and the flock of Christians as ideals. Second, I explain why this figure was thought to protect people from the plagues. From the early Christian era, Mary was thought to be able to intercede with God/Christ. In some works made after 1347, one can see people fled into Mary's cloak ; it sheds the plague-arrow which expressed the anger of God/Christ. Finally, I note the works representing a heap of dead men shot by arrows outside the Mary's cloak. Emphasized mercy could lead to the completely merciless sight. People would be selected in proportion to the degree of one's faith.
著者
岡田 敬司
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.1-7, 2012-12-20

岡田は『自律者の育成は可能か-「世界の立ち上がり」の理論-』 において, 自律的判断が可能であるためには, 当の判断対象がそこに位置づいて原初的意味を獲得する「世界」が立ち上がっていなければならないと論じた. この原初的意味が与えられてこそ判断主体はこの対象に対する「合理的な」対処行為を決定できるわけである. 世界は断片知識群の構造化として立ち上がる. 構造を組み上げるのは座標軸あるいはカテゴリーのつながりである. 本稿はこの構造化の進行を担うものとしての「習熟」に着目した. 断片知識群が構造形成に転じる契機としての習熟である. 習熟によって世界は安定した意味付与母胎となるが, そこには知識の身体化, 無意識化の問題が避けがたく待ち受けている. 本稿の目指すのはこの問題の解明である.«Apprendre profondément», qu'est-ce-que cela veut dire? --Sur des conditions nécessaires du jugement autonome et de la décision autonome des conduites--J'ai posé une hypothèse dans mon livre; Formation des hommes autonomes, est-t-elle possible? Il s'agissait d' «Autostructuration d'un monde». Pour juger d'une façon autonome, il faut d'abord un monde structuré dans lequel se situe l'objet de ce jegement. Cette situation nous ayant donné le sens primordial de cette objet, nous devenons capables de décider notre propre conduite« rationnelle» ou «adaptative» vis-à-vis de l'objet. Ce qui fait la structuration d'un monde, ce sont des axes de coordonnées ou des réseaux des catégories. Cet miicle essaie d'éclairer le mécanisme d' «Apprendre profondément» qui fait avancer cette structuration. Il nous semble que le moment de la formation d'un monde structuré consiste en accumulation-condensation des connaissances fragmentaires.
著者
三宅 香帆
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
no.28, pp.205-213, 2019-12-20

萬葉集巻二に収録された石川女郎と大伴田主の贈答歌は, 女郎を家に泊めずに帰した田主が「風流士(みやびを)」であるか否かを詠んだ歌群である. 本稿は, 二人の歌が指す「風流」の内実を明らかにするとともに, その差異がいかなる点に依拠していたのかを考察した. 従来一二六-一二八番歌群は, なぜ二人の間で同じ行為に対して評価が異なるのかという点が疑問視されてきた. この問いについて本稿は, 石川女郎の行動の典拠として想定する漢籍は, 従来指摘されてきた『文選』のみでは不十分だと考える. そこで左注を含む当該歌群の持つ論理を明らかにするための作業仮説として, 『文選』だけでなく『遊仙窟』も石川女郎の「風流士」像に影響を与えていたとし, その上で当該歌群の解釈を提示した. まず左注における石川女郎の「火を取る」行為, 「鍋」を提げて来た理由を, 『遊仙窟』の文脈を踏まえて検討する. そのうえで贈答歌について, 石川女郎の一二六番は主に『遊仙窟』と『文選』の文脈を援用するのに対し, 大伴田主の一二七番は『文選』のみを援用していることを示した. つまり両者の「風流士」像の相違はそれぞれ典拠とする漢籍が異なっていた点から生まれたものであった. そして『文選』『遊仙窟』それぞれに代表される「風流」の価値は, 大伴田主と石川女郎という人物に託して対比されていたことが分かる. 一見, 雅俗の極致のように見え, 並列した典拠とするには不釣り合いな『文選』と『遊仙窟』であるが, 当該歌群はその二つの漢籍を典拠としてあえて対にすることによって, 「風流」という言葉に込められた二つの意味を提示した. 「風流」という語彙を共有しながら, その中で雅俗が対になって提示される構造こそが当該歌群の注目すべき点であろう.
著者
谷川 嘉浩
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.89-99, 2018

本稿は, 経験を書くこと, 生活を記録することをめぐる鶴見俊輔の思想を探索する. 彼の思想を貫くのは, 日本の知識人が状況変化に応じて態度転換していったことへの批判である. その場の解答をなぞるだけの優等生は, 知的独立性を失いがちなのだ. これへの対処として, 自身の経験に基づく作文に鶴見は注目した. 本稿の目的は, 自己を含む状況全体を相対化する契機を, 鶴見がどのように確保したのかを明らかにすることである. 彼の「方法としてのアナキズム」に基づき, 生活綴方論以降の彼の作文論で, 当初の想定と現実との齟齬への注目が重視されること, そして, 齟齬と対峙する人間の力を「想像力」に帰したことを明らかにする. さらに, 想像力が繰り返し立ち返る場となるように, 鶴見が提出した経験を書く際の基準について, 後年展開された彼の文章論を踏まえて論じる.
著者
杉山 博昭
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.59-77, 2010-12-20

本論は, 十五世紀フィレンツェで上演された聖史劇を手がかりに, 同時代の図像に「何が起きているのか」を検証するものである. シャピローやパクサンダールが指摘したように, 演劇から 図像へという一方通行の即応関係を「実証的」に明らかにすることは困難であるしかし, 図像の「源泉」や「典拠」への拘泥を留保し, 再構成が進められてきた聖史劇についての研究成果をふまえるならば, 演劇と図像のあいだに存在した「反復」や「再演」といった, 双方向の照応関係を発見することが可能となる. まず, 絵画的リアリティに埋没しない演劇的リアリティを帯びた図像中の記号に注目する. 実際の聖史劇の舞台に用いられた記号群が描きこまれることで, 図像中に異質なふたつのリアリティが並び立つ. このリアリティの落差が呼び起こした聖史劇の見物客の眼差しは, 図像の鑑賞者の眼差しへと重ねられたのだ. 次に, 図像のなかに描かれた超常的な光, もしくは点光源の描写に注目する. 聖史劇『昇天』や『受胎告知』などの演目におけるイルミネーションの演出は苛烈を極めた. 図像資料に確認される, 天井に鎮座する神の周囲の光, 天球の表現などは, まさしくこれらのランプや花火の効果の「反復」と考えられ, 鑑賞者と見物客の経験が接近し得たことを示す. さらに, 図像を構成する時空を, 聖史劇の舞台が組織した時空と比較検証する. 聖史劇の時間は, 遅延し, 停滞し, 回帰する特徴を帯び, 演技空間は収縮と拡張を繰り返す. また, 聖史劇の見物客は, このような時空に, 身体ごと参与するよう要請された. そのために, 同じような前近代的な特徴を帯びた図像の前に立っとき, 見物客でもあった鑑賞者の受容は, 重層的なものとなったに相違ないのだ.
著者
大山 万容
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.121-132, 2012-12-20

本稿では, フランスにおけるニューカマーの子どもに対する受け入れ政策と, 雷語教育支援の特般について論じる. フランスは国際社会においては欧州評議会の言語政策部門が提唱する複言語主義(plurilingualism) を標榜するが, 国内の移民に対する政策にその主張はどのように反映されているのだろうか. 本稿ではフランスにおける移民の定義について概観した後, 政策の実践例として, フランスの「ニューカマーおよびロマの子どものための学校教育センター」(Centre Academique pour la Scolarisation des Nouveaux Arrivants et des enfants du Voyage :CASNAV) を取り上げ, その設立に至る背景, ニューカマーの子どもと学校教師への支援のあり方とその課題を明らかしその取り組みにおける複言語主義との組離を示す. 最後に社会統合のための複言語主義教育の可能性について考察する.
著者
池野 絢子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.47-58, 2010

本論は,戦後イタリアの芸術家ジュリオ・パオリーニ(1940生)の初期作品の考察を通じて, 芸 術作品における「作者」のありょうを一考するものである.パオリーニは, 1960年代のはじめに, イメージを排除する反イリュージョニズムの作風で出発するのだが, 67年以降,彼の作品には写 真複製された過去の巨匠たちの絵画が登場し始める.このような写真複製の利用は,とはいえ, 単 純に過去の作品の「号|用」として片付けることはできない.というのも,その制作において問題化 されているのは,既存のイメージを新たなイメージの一部として制作に応用することではなく,む しろあるイメージを複数の作者たちに結び、つけることだと考えられるからだ. ロラン・バルトの名高い「作者の死J(1968) と相前後して発表されたパオリーニの作品にあっ て, しかしながら「作者」は, 完全に葬り去られたとも, 単純に回帰したとも言いがたいように思 われる.本論では,ノfオリーニの制作の展開を追いながら, 芸術作品における「作者」の所在を再 考する端緒を探りたい.This article will try to consider a relation between artworks and 'author' after 1960s through analyses of the early works of Giulio Paolini, post-war Italian artist. Paolini started his career with a series of anti-illusionistic works. After 1967, he began to utilize the reproductions of old masters' pictures. It will not be exact, however, to simply call such use of reproductions 'citation,' because it is not about making one existing image into another new one, but about relating an image to 'authors' instead of an unique author. Although his works were contemporary with the notable 'death of author' which argued Roland Barthes, it may be difficult to find that the author is dead nor that he comes back in them. The aim of this article is reconsidering how we can describe author of artworks, through analyzing the artistic development of Paolini.
著者
伊藤 弘了
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科共生人間学専攻
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.31-44, 2016

本論文では是枝裕和の映画作品における入浴の役割を論じていく.第1節では, 是枝のフィルモグラフィを辿りながら, 入浴場面が「他者との親密な関係性を構築する場」として機能している点を確認する.入浴のこの機能は, しばしば「血縁によらない家族関係」という是枝作品の主要なテーマと結びつく.登場人物たちは風呂の水を共有することで家族になっていくのである(『幻の光』[1995年], 『誰も知らない』[2004年], 『花よりもなほ』[2006年], 『歩いても歩いても』[2008年]), その裏返しとして, 他者と水を共有しない入浴(一人きりの入浴)は, その人物の孤独をあらわすことになる(『ワンダフルライフ』[1998年], 『歩いても歩いても』, 『そして父になる』[2013年], 『海街diary』[2015年], 『海よりもまだ深く』[2016年]).第1節の議論を踏まえて, 弟2節では『DISTANCE』(2001年) に入浴場面が完全に欠けている意味について考察する.この作品では, 他者との関係性の不全が描かれており.入浴の欠如はこのテーマを体現しているのである, 水の主題系に彩られた本作では, 他者と関係を深めるための装置として, 入浴の代わりにプールが用いられることになる. This paper sheds light on the function of taking baths in Hirokazu Kore-eda's films. Section 1 demonstrates that throughout his filmography, bathing creates intimate relationships between characters. The function of baths is linked with the theme of families without blood relationships, one of the most important subject themes of Kore-eda's works. His characters create families by taking baths together (Alaborasi 1995 ; Nobody Knows 2004 ; Hone 2006 ; Still Walking 2008). Contrarily, taking a bath alone represents the solitudes of the character (After Life 1999 ; Still Walking ; Like Father, Like Son 2013 ; Our Little Sister 2015 ; After the Storm 2016). Based on this argument, section 2 examines Distance (2001). This film completely lacks a bath scene. It depicts the disorder of intimate relationships, and the lack of bath scenes embodies this theme. Yet, Distance substitutes the scene of swimming pools with the bath scenes and thereby articulates the relationship between water and intimacy as other Kore-eda films do.

3 0 0 0 IR 三日月と待月

著者
陳 馳
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
no.29, pp.93-103, 2020-12-20

三日月は太陽の光を反射する角度により, 一ヶ月の中で最初に夜空に出てくる月である. 国文学では三日月はなかなか待月と結びつきにくいが, 中国では一ヶ月中, 全ての月が待月の対象となっているため, 中国の漢詩文には三日月の待月は存在する. 平安時代において, 三日月の待月の国文学の例は見られないのに対して, 漢詩文では, その受容は一時見られるが, やはり広く浸透しなかったのである. その原因は, 平安時代において, 待月といえば満月以降の月という印象が強すぎたためと考えられる. しかし, 鎌倉時代に入ると, 初秋の三日月という表現から派生した, 悲秋観を表す待月の例が見られるようになった. さらに時代が下ると, 三日月の待月は春の三日月も詠まれるようになって発展を遂げた. ただし, いずれの三日月の待月は, 漢詩文の表現と通じる部分があるが, 独特な感性が感じられる, 日本独自の観月の表現であり, 漢詩から受容したものではなかったと言えよう.
著者
小野 智恵
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.57-65, 2014-12-20

1960年代後半から1970 年代初頭は, アメリカ商業映画にとって空前のズーム隆盛期であったといえる. しかし, TV を中心に用いられる新しい手法であり低コストであるズーム・ショットは, 当時も現在も, 映画のための歴史ある手法であり膨大なコストを費やしてなされるドリー・ショットの代役としての扱いに甘んじてきた. 本稿は, 旧来のドリー・ショット(とその代役としてのズーム・ショット) を媒介とした観客とアメリカ商業映画との間にある「約束事」に着目し, ロバート・アルトマン監督の『ギャンブラー』に見られるあるズーム・ショットがドリー・ショットにはない独自性を持つことを明らかにする. それは, 伝統的なアメリカ主流映画がその実現を希求してやまなかった「奥行き」という概念を, 平面上の外面描写において無効にするだけでなく, 主人公の内面描写においても無効にしてしまうものである.
著者
勝浦 眞仁
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.25-33, 2010-12-20

発達障碍を抱える生徒独自の捉え方や感じ方をどのように受け止めるのか,という特別支援 教育における重要な問題に対して,定型発達者の「見立て」による,評価的観点からのアプローチ が広く受け入れられているしかし当事者の著書や自伝,また支援員であった筆者の体験からは, 現行のアプローチに対する非定型発達者の強い反発が窺え,彼らの体験に十分迫り切れていない面 があった. そこで本稿では,非定型発達と恩われるある一男児の事例を通して,その生徒を学校において 「異文化」に生きる人として位置付け, その枠組みを支援に活かすことの意義と教育実践上の難し さについて,特別支援教育支援員の立場から,エピソード記述法を用いて検討した. その結果, I異文化」を生きる生徒たちを, その人らしい「我が」ままを生きる人として受け止 めていく枠組みが有効であることを示す一方で,学校という場では共に生きるがゆえに,学校文化 との「同調性」を求めてしまうところが少なからずあり,その両面にどう折り合いをつけるかが教 育実践を行う上での難しさであることを明らかにした.
著者
武田 宙也
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.51-64, 2009-12-20

本稿は,鏡という形象について,それがミシェル・フーコー(1926-1984)の思想のなかで持っ意味を明らかにしたものである.彼は,その生涯に著した数々の論考において,ことあるごとにこのモチーフに言及している.さらにそれらは,単なる周縁的な言及というよりも,より彼の思想の本質にかかわる形でなされているように思われる.したがって本稿では,フーコーの諸言説の中で鏡が見せる多様な形象をつぶさに見ていくことによってその本質にせまろうとした.ところで,一方で鏡は,西洋の歴史の中で古くからさまざまな意味を付与されてきた,それ自体多義的な存在である.したがって考察のなかでは,こうした鏡自体のもつ多義性とそれがうつしだす彼の思想の多義性とに同時に光を当てることにより,その歴史のなかに「フーコーの鏡」を位置づけることを試みた.以上のような試みを通じてわれわれは最終的に,この形象が彼の統治および現代性をめぐる考察と内在的な連関を持つものであることを明らかにした.
著者
池野 絢子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.47-58, 2010-12-20

本論は, 戦後イタリアの芸術家ジュリオ・パオリーニ(1940生)の初期作品の考察を通じて, 芸 術作品における「作者」のありょうを一考するものである. パオリーニは, 1960年代のはじめに, イメージを排除する反イリュージョニズムの作風で出発するのだが, 67年以降, 彼の作品には写 真複製された過去の巨匠たちの絵画が登場し始める. このような写真複製の利用は, とはいえ, 単純に過去の作品の「引用」として片付けることはできない. というのも, その制作において問題化されているのは, 既存のイメージを新たなイメージの一部として制作に応用することではなく, むしろあるイメージを複数の作者たちに結び、つけることだと考えられるからだ. ロラン・バルトの名高い「作者の死」(1968) と相前後して発表されたパオリーニの作品にあって, しかしながら「作者」は, 完全に葬り去られたとも, 単純に回帰したとも言いがたいように思われる. 本論では, パオリーニの制作の展開を追いながら, 芸術作品における「作者」の所在を再考する端緒を探りたい.
著者
伊藤 弘了
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.75-90, 2017-12-20

本論文では, 是枝裕和『海街diary』の記憶表象が持つ映画史的な意味について, 理論的な言説を参照しながら明らかにし, それが映画の観客に及ぼす作用を分析する. 『海街diary』の記憶表象を考えるにあたっては, 是枝が小津安二郎から受けた影響を踏まえることが有効である. 小津と是枝の映画における演出上の重要な共通点として, フラッシュバックの排除と視線の等方向性の強調が挙げられる. 第1節では, 是枝と小津の映画におけるカメラが非人称的な存在にとどまっている点を確認する. カメラの非中枢的な知覚と人間の中枢的な知覚は別のものであり, 両者を同一視するところに映画のごまかしが生まれる. 第2節では, 是枝と小津の映画が映画のごまかしを避けるために, フラッシュバックを伴う主観的な回想シーンを排除したことを指摘する. 第3節では, 小道具としての写真に注目する. 是枝や小津の映画では, 画面上に写真が映ることがほとんどない. その理由について, ロラン・バルトやヴァルター・ベンヤミンの議論を参照しつつ, 写真と記憶の違いについて考察し, 是枝の『海街diary』では記憶の重視が徹底されていることを論証する. 第4節では, 写真との関係から視線の等方向性を問題にする. 複数の登場人物たちが同じ対象に視線を注ぐ場合, 見られている対象が重要なのではなく, 一緒に見ているという経験自体が意味を持つ. そこでは視覚の不一致よりも記憶の共振が重視される. 第5節では, 不可視の写真をめぐる序盤と終盤のシーンの分析を通して, 視線の等方向性の綻びが, 登場人物と映画観客に悟りの経験をもたらす仕掛けを明らかにする.This paper clarifies the historical meaning of the memory representation in Kore-eda Hirokazu's Umimachi Diary with reference to the theoretical discourse, and analyzes its effect on the spectator. While considering the memory representation of Umimachi diary, it is beneficial to examine Ozu Yasujiro's influence on Kore-eda. Kore-eda inherits from Ozu the elimination of flashback and the peculiar structure of looking in which characters look at the same object, which is not revealed by the camera. In Section 1, I confirm that the cameras of Kore-eda and Ozu have an impersonal presence. The non-centered perception of the camera and the central perception of the human being are distinct from each other, and a film can cheat by identifying one with the other. I argue that this idea allows both Ozu and Kore-eda to eliminate subjective recollection scenes with flashback. In Section 2, I examine the problems involved in the use of flashback, and analyze how Kore-eda and Ozu endeavored to avoid the issue, believing that it would constitute a compromise of the artistic integrity of their films. In Section 3, I focus on the use of photographs as props. The films of Kore-eda and Ozu feature few photographs on the screen. Therefore, I not only examine the difference between photographs and memory by referring to Roland Barthes and Walter Benjamin but also demonstrate the importance of memory in Umimachi diary. In Section 4, I consider parallel looks with regard to the motif of photographs. When characters cast their eyes on the same object, the object being viewed is not important ; rather, the experience of watching them together is significant. Therefore, frequent emphasis is placed on memory resonance rather than real sight. In Section 5, I analyze the scenes at the beginning and end of the invisible photographs to clarify the mechanisms where the disorderliness of the parallel looks provides an experience of enlightenment to the characters and audiences.