著者
沢水 男規
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.47-58, 2018

本論文は怪獣映画『ガメラ3邪神<イリス>覚醒』(1999年)における京都の表象について論じるものである. 第一節では本作において怪獣たちが京都の街並みをどのように破壊しているかを分析し, 本作における京都の破壊が他の都市の破壊よりも小さい規模で描かれていることを示す. 第二節では他の映画作品を参照し, 特撮映画というジャンル全般における京都の表象の特徴を見出す. 第三節では京都という都市に対して本作の作り手が抱いていた「京都らしさ」の実態を考察し, 本作における京都の表象に偏りが生じた要因を明らかにする. 本作における京都の表象は, 怪獣映画における都市の破壊, および映画における京都の表象に関する議論の中で従来十分に論じられてこなかった. 本論文は映画における京都の表象に関する議論を発展させ, 新たな視座を加えることを試みる.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.28, 2011-03-20

<巻頭言>古代日本と東アジア
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.35, 2016-03-15

<巻頭言> すきまの効用 / 間宮 陽介
著者
渡辺 洋平
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.39-49, 2011-12-20

ドゥルーズは『差異と反復』(1968)において,「現代哲学の任務は「プラトニスムの転倒」と定義された」と書いた.この言葉は取りも直さず,自らの哲学がプラトニスムを転倒させるものであるという宣言に等しい.そこでドゥルーズが目指したのは,プラトンにとっては排除すべき対象だった「シミュラクル」と呼ばれる存在を復権することであった.しかしこの「転倒」は,より広範な意義を持っているように思われる.本論文では「プラトニスムの転倒」という主題を,シミュラクルから解放することで,より広範な領域へと開くことを試みる.ドゥルーズにとって,プラトニスムとはイデアという超越的な基準により,この世界に善悪を作り出す思想である.「プラトニスムの転倒」とは,こうした超越的な体制から内在的な体制への移行であり,そこでは,道徳とは異なるものとしての倫理的なあり方が目指されることになる.そしてこの移行は,あいだの問題,共同体の問題を通じて,自然との新たな共生へ,さらには世界の新たな形成へと向かっているのである.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.28, 2011-03-20

<巻頭言>古代日本と東アジア / 上田正昭<対談>生きるための経済学 / 安冨歩, 間宮陽介, 司会 阪上雅昭<特集 : 境界を科学する>越境の試練と報償 ̶ 生物たちの上陸の歴史 / 加藤真<特集 : 境界を科学する>境界から空間へ / 間宮陽介<特集 : 境界を科学する>0と1との境界 / 立木秀樹<特集 : 境界を科学する>境界上であること - ルシン語とルシン人の場合 / 三谷惠子<特集 : 境界を科学する>地球の中の境界 / 小木曽哲<特集 : 境界を科学する>境界について / 戸田剛文<リレー連載:環境を考える>学際的ホメオスタシス研究のすすめ / 北畠能房<サイエンティストの眼>岩石の生成温度を測るための温度計 / 大井修吾<フロンティア>スポーツ健康科学の面白さ / 橋本健志<フロンティア>文学は言語を用いて何をなしうるか / 宮﨑三世<世界の街角>ロンドン、サウスバンク / 桒山智成<国際交流セミナーから>数学者から見た一五世紀イタリア絵画 - C. クリヴェッリ「聖エミディウスをともなう受胎告知」 / K. H. ホフマン、K. カイメル<フィールド便り>早起きはなぜ得なのか 時間栄養学から探求する21世紀の健康ライフ / 永井成美<書評>福家崇洋著『戦間期日本の社会思想 「超国家」ヘのフロンティア』 / 福間良明<書評>辻正博著『唐宋時代刑罰制度の研究』 / 中村正人<書評>佐野亘著『公共政策規範』 / 野田裕久<書評>舟木徹男訳・解題、O. ヘンスラー著『アジール - その歴史と諸形態』 / 上山安敏<人環図書>田中雅一、田辺明生共編『南アジア社会を学ぶ人のために』<人環図書>西山良平、鈴木久男編『恒久の都 平安京』瓦版
著者
劉 守軍
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.67-82, 2011-12-20

宇都宮徳馬は, 第二次世界大戦後, 外交問題を中心に活躍し, 日ソ・日中・日朝国交回復に尽力し, 保守政治家の中でも数少ないリベラリストとして知られる. しかし, 彼は戦前に日本共産党に加入し, 「転向」をへて, 企業を営みながら官僚統制批判の言論活動に従事したという, 異色の知識人・自由主義思想家でもあった. このように日本の知識人の「政治」や「社会主義」, 「平和」に対する一つの特徴を示す存在である宇都宮について, 従来日本では, 一次資料にもとづく充分な検討がなされてこなかった. ことに, 戦後における彼の活動について, 思想史的な追及は不充分である. こうした研究状況を踏まえ, 本稿は戦後から1949年政界進出にいたるまでの宇都宮の思想と行動に焦点をあて, 戦前・戦中における官僚統制や軍部独裁への批判との連続性を意識しつつ, 戦後における彼の思想的立場, とりわけ戦後経済再建に関わる政策論の特徴とその史的位置を確認する.
著者
進藤 翔大郎
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.183-199, 2018

本稿は戦後日本で明るみになった, ソ連による対日工作活動であるラストボロフ事件および関・クリコフ事件として知られる事件を近年アメリカ国立公文書館で公開された一次資料を基に扱うことで, シベリア抑留帰還者を用いた米ソによる情報戦の一端を明らかにするものである. これらの事件を取り上げることで, 日本の敗戦直後から抑留帰還者を用いた米ソの熾烈な情報戦が展開されていた事実が浮かび上がるだけでなく, 講和条約後の1950年代全体を通して抑留帰還者を巡る米ソの情報戦が日本に影響を及ぼしていたこと, および, インテリジェンス上の日本の戦後の対米依存を垣間見ることができる.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム
巻号頁・発行日
vol.33, 2013-12-20

<巻頭言>大阪人と東京人と西洋人 / 高橋 義人
著者
有森 由紀子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.43-56, 2014-12-20

本論文は, 映画監督・脚本家プレストン・スタージェスのスクリューボール・コメディ2作品『偉大なるマッギンティ』(The Great McGinty, 1940) と『サリヴァンの旅』(Sullivan's Travels, 1941) について考察を行う. 両作品はスタージェスの優れた喜劇の才能が発揮された作品であると同時に, 大恐慌というアメリカの歴史・社会的状況を反映し, アメリカン・ドリームと現実の乖離がもたらす悲劇も描く. 両作品の主人公は, 子供らしい無知と無邪気さを備えた典型的「スクリューボール」である. 彼らは階級間移動を試みて挫折を味わう一方で, スクリューボール・コメディに相応しいハッピーエンド=恋愛の成就に至る. 夢に破れる主人公の悲劇が, ジャンルの掟と拮抗し, いかにしてスタージェス独自のスクリューボール・コメディへと結実していくのかを明らかにする.
著者
河田 淳
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.27-37, 2011

本論文は,《慈悲の聖母》図像の表現にペストが与えた影響を明らかにすることを目的とする.この図像は,ひざまずく信徒たちをマントで覆うマリアを表わしたもので,13世末から16世紀半ばにかけてイタリア,フランス,ドイツ,ネーデルラントなどで広まった.第一章では,この図像が『詩篇』に登場する「翼をもつ神」のイメージを踏まえたもので,理想的な共同体としての教会を象徴している点を示した.第二章では,この図像がペストから人びとを守護するとみなされた背景に,マリアが神やキリストへ人びとを執りなす仲裁者として信仰された点を指摘した.第三章では,1347年以降に制作された作品のなかでも,マントの外側でペストの矢を受けて倒れている人びとがいるものを取り上げ,慈悲による救済が選択的に表されている点に着目した.ペスト流行期の《慈悲の聖母》図像には,慈悲が信仰を対価に取引されるさまが表されているのである.This paper reveals how the plagues influenced on the Iconology of the "Virgin of Mercy". This figure spread throughout Italy, Germany, France and the Netherlands from the end of the 13th century to the middle of the 16th century. I examine some works of the figure not only from the view of art history but also from social history ―the history of mentality―, for tracing the medieval notion of Mercy. First, I show that the figure was based on the image of winged God in the Judea-Christt ext (Psalm : 91, 4-10) and that it implied the church and the flock of Christians as ideals. Second, I explain why this figure was thought to protect people from the plagues. From the early Christian era, Mary was thought to be able to intercede with God/Christ. In some works made after 1347, one can see people fled into Mary's cloak ; it sheds the plague-arrow which expressed the anger of God/Christ. Finally, I note the works representing a heap of dead men shot by arrows outside the Mary's cloak. Emphasized mercy could lead to the completely merciless sight. People would be selected in proportion to the degree of one's faith.
著者
岡田 敬司
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.1-7, 2012-12-20

岡田は『自律者の育成は可能か-「世界の立ち上がり」の理論-』 において, 自律的判断が可能であるためには, 当の判断対象がそこに位置づいて原初的意味を獲得する「世界」が立ち上がっていなければならないと論じた. この原初的意味が与えられてこそ判断主体はこの対象に対する「合理的な」対処行為を決定できるわけである. 世界は断片知識群の構造化として立ち上がる. 構造を組み上げるのは座標軸あるいはカテゴリーのつながりである. 本稿はこの構造化の進行を担うものとしての「習熟」に着目した. 断片知識群が構造形成に転じる契機としての習熟である. 習熟によって世界は安定した意味付与母胎となるが, そこには知識の身体化, 無意識化の問題が避けがたく待ち受けている. 本稿の目指すのはこの問題の解明である.«Apprendre profondément», qu'est-ce-que cela veut dire? --Sur des conditions nécessaires du jugement autonome et de la décision autonome des conduites--J'ai posé une hypothèse dans mon livre; Formation des hommes autonomes, est-t-elle possible? Il s'agissait d' «Autostructuration d'un monde». Pour juger d'une façon autonome, il faut d'abord un monde structuré dans lequel se situe l'objet de ce jegement. Cette situation nous ayant donné le sens primordial de cette objet, nous devenons capables de décider notre propre conduite« rationnelle» ou «adaptative» vis-à-vis de l'objet. Ce qui fait la structuration d'un monde, ce sont des axes de coordonnées ou des réseaux des catégories. Cet miicle essaie d'éclairer le mécanisme d' «Apprendre profondément» qui fait avancer cette structuration. Il nous semble que le moment de la formation d'un monde structuré consiste en accumulation-condensation des connaissances fragmentaires.
著者
三宅 香帆
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
no.28, pp.205-213, 2019-12-20

萬葉集巻二に収録された石川女郎と大伴田主の贈答歌は, 女郎を家に泊めずに帰した田主が「風流士(みやびを)」であるか否かを詠んだ歌群である. 本稿は, 二人の歌が指す「風流」の内実を明らかにするとともに, その差異がいかなる点に依拠していたのかを考察した. 従来一二六-一二八番歌群は, なぜ二人の間で同じ行為に対して評価が異なるのかという点が疑問視されてきた. この問いについて本稿は, 石川女郎の行動の典拠として想定する漢籍は, 従来指摘されてきた『文選』のみでは不十分だと考える. そこで左注を含む当該歌群の持つ論理を明らかにするための作業仮説として, 『文選』だけでなく『遊仙窟』も石川女郎の「風流士」像に影響を与えていたとし, その上で当該歌群の解釈を提示した. まず左注における石川女郎の「火を取る」行為, 「鍋」を提げて来た理由を, 『遊仙窟』の文脈を踏まえて検討する. そのうえで贈答歌について, 石川女郎の一二六番は主に『遊仙窟』と『文選』の文脈を援用するのに対し, 大伴田主の一二七番は『文選』のみを援用していることを示した. つまり両者の「風流士」像の相違はそれぞれ典拠とする漢籍が異なっていた点から生まれたものであった. そして『文選』『遊仙窟』それぞれに代表される「風流」の価値は, 大伴田主と石川女郎という人物に託して対比されていたことが分かる. 一見, 雅俗の極致のように見え, 並列した典拠とするには不釣り合いな『文選』と『遊仙窟』であるが, 当該歌群はその二つの漢籍を典拠としてあえて対にすることによって, 「風流」という言葉に込められた二つの意味を提示した. 「風流」という語彙を共有しながら, その中で雅俗が対になって提示される構造こそが当該歌群の注目すべき点であろう.
著者
谷川 嘉浩
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.89-99, 2018

本稿は, 経験を書くこと, 生活を記録することをめぐる鶴見俊輔の思想を探索する. 彼の思想を貫くのは, 日本の知識人が状況変化に応じて態度転換していったことへの批判である. その場の解答をなぞるだけの優等生は, 知的独立性を失いがちなのだ. これへの対処として, 自身の経験に基づく作文に鶴見は注目した. 本稿の目的は, 自己を含む状況全体を相対化する契機を, 鶴見がどのように確保したのかを明らかにすることである. 彼の「方法としてのアナキズム」に基づき, 生活綴方論以降の彼の作文論で, 当初の想定と現実との齟齬への注目が重視されること, そして, 齟齬と対峙する人間の力を「想像力」に帰したことを明らかにする. さらに, 想像力が繰り返し立ち返る場となるように, 鶴見が提出した経験を書く際の基準について, 後年展開された彼の文章論を踏まえて論じる.
著者
杉山 博昭
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.59-77, 2010-12-20

本論は, 十五世紀フィレンツェで上演された聖史劇を手がかりに, 同時代の図像に「何が起きているのか」を検証するものである. シャピローやパクサンダールが指摘したように, 演劇から 図像へという一方通行の即応関係を「実証的」に明らかにすることは困難であるしかし, 図像の「源泉」や「典拠」への拘泥を留保し, 再構成が進められてきた聖史劇についての研究成果をふまえるならば, 演劇と図像のあいだに存在した「反復」や「再演」といった, 双方向の照応関係を発見することが可能となる. まず, 絵画的リアリティに埋没しない演劇的リアリティを帯びた図像中の記号に注目する. 実際の聖史劇の舞台に用いられた記号群が描きこまれることで, 図像中に異質なふたつのリアリティが並び立つ. このリアリティの落差が呼び起こした聖史劇の見物客の眼差しは, 図像の鑑賞者の眼差しへと重ねられたのだ. 次に, 図像のなかに描かれた超常的な光, もしくは点光源の描写に注目する. 聖史劇『昇天』や『受胎告知』などの演目におけるイルミネーションの演出は苛烈を極めた. 図像資料に確認される, 天井に鎮座する神の周囲の光, 天球の表現などは, まさしくこれらのランプや花火の効果の「反復」と考えられ, 鑑賞者と見物客の経験が接近し得たことを示す. さらに, 図像を構成する時空を, 聖史劇の舞台が組織した時空と比較検証する. 聖史劇の時間は, 遅延し, 停滞し, 回帰する特徴を帯び, 演技空間は収縮と拡張を繰り返す. また, 聖史劇の見物客は, このような時空に, 身体ごと参与するよう要請された. そのために, 同じような前近代的な特徴を帯びた図像の前に立っとき, 見物客でもあった鑑賞者の受容は, 重層的なものとなったに相違ないのだ.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.32, 2013-03-20

<巻頭言>外国人研究員の提案するこれからの外国語教育 / 大木 充
著者
大山 万容
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.121-132, 2012-12-20

本稿では, フランスにおけるニューカマーの子どもに対する受け入れ政策と, 雷語教育支援の特般について論じる. フランスは国際社会においては欧州評議会の言語政策部門が提唱する複言語主義(plurilingualism) を標榜するが, 国内の移民に対する政策にその主張はどのように反映されているのだろうか. 本稿ではフランスにおける移民の定義について概観した後, 政策の実践例として, フランスの「ニューカマーおよびロマの子どものための学校教育センター」(Centre Academique pour la Scolarisation des Nouveaux Arrivants et des enfants du Voyage :CASNAV) を取り上げ, その設立に至る背景, ニューカマーの子どもと学校教師への支援のあり方とその課題を明らかしその取り組みにおける複言語主義との組離を示す. 最後に社会統合のための複言語主義教育の可能性について考察する.
著者
池野 絢子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.47-58, 2010

本論は,戦後イタリアの芸術家ジュリオ・パオリーニ(1940生)の初期作品の考察を通じて, 芸 術作品における「作者」のありょうを一考するものである.パオリーニは, 1960年代のはじめに, イメージを排除する反イリュージョニズムの作風で出発するのだが, 67年以降,彼の作品には写 真複製された過去の巨匠たちの絵画が登場し始める.このような写真複製の利用は,とはいえ, 単 純に過去の作品の「号|用」として片付けることはできない.というのも,その制作において問題化 されているのは,既存のイメージを新たなイメージの一部として制作に応用することではなく,む しろあるイメージを複数の作者たちに結び、つけることだと考えられるからだ. ロラン・バルトの名高い「作者の死J(1968) と相前後して発表されたパオリーニの作品にあっ て, しかしながら「作者」は, 完全に葬り去られたとも, 単純に回帰したとも言いがたいように思 われる.本論では,ノfオリーニの制作の展開を追いながら, 芸術作品における「作者」の所在を再 考する端緒を探りたい.This article will try to consider a relation between artworks and 'author' after 1960s through analyses of the early works of Giulio Paolini, post-war Italian artist. Paolini started his career with a series of anti-illusionistic works. After 1967, he began to utilize the reproductions of old masters' pictures. It will not be exact, however, to simply call such use of reproductions 'citation,' because it is not about making one existing image into another new one, but about relating an image to 'authors' instead of an unique author. Although his works were contemporary with the notable 'death of author' which argued Roland Barthes, it may be difficult to find that the author is dead nor that he comes back in them. The aim of this article is reconsidering how we can describe author of artworks, through analyzing the artistic development of Paolini.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.30, 2012-03-24

<巻頭言>「総合人間」とは / 吉田忠<特集 : リスクと向きあう>科学技術コミュニケーションとSF的想像力 : 小松左京が遺した問いをめぐって / 吉田純<特集 : リスクと向きあう>東日本大震災後の日本のリスクを考える : ストック型文明からフロー型文明へ / 鎌田浩毅<特集 : リスクと向きあう>放射線リスクと生物研究 / 小松賢志<特集 : リスクと向きあう>一度きりの事象に確率を振れるか : 保険のメカニズムから考える / 大瀧雅之<リレー連載:環境を考える>価値の衝突をいかに調整するか/佐野亘<サイエンティストの眼>生体機能を可視化する : 蛍光センサー分子の論理的開発について/多喜正泰<知の息吹>アジール・無縁・自然法 / 舟木徹男<社会を斬る>他者理解とミラーニューロン / 佐藤義之<フロンティア>中国語の習得を考える : 日本語母語話者の場合 / 劉志偉<フロンティア>運動中に《周りは見えなくなる》のか : スポーツ科学からのアプローチ / 安藤創一<世界の街角>或る遠い夏の一日から / 服部文昭<国際交流セミナーから>日本漢籍の中国古典文学研究における役割 / 卞 東波<フィールド便り>熱帯雨林の巨木でアリの地図を作る / 田中洋<書評>高橋義人・『人環フォーラム』編集委員会編『教養のコンツェルト 新しい人間学のために』 / 佐藤正樹<書評>石岡学著『「教育」としての職業指導の成立 : 戦後日本の学校と移行問題』 / 有賀暢迪<書評>大倉得史著『「語り合い」のアイデンティティ心理学』 / 西平直<書評>鯖江秀樹著『イタリア・ファシズムの芸術政治』 / 土肥秀行<書評>アナトーリイ・ナイマン著、木下晴世訳『アフマートヴァの想い出』 / 酒井英子<書評>大木 充・西山教行編『マルチ言語宣言 : なぜ英語以外の外国語を学ぶのか』 / 三浦 淳<書評>佐藤泰子著『苦しみと緩和の臨床人間学 : 聴くこと、語ることの本当の意味』 / 浜渦辰二<書評>鎌田浩毅著『火山と地震の国に暮らす』 / 岸本利久<書評>福間良明著『焦土の記憶』/井上義和<書評>内藤真帆著『ツツバ語 記述言語学的研究』 / 梶茂樹瓦版

3 0 0 0 IR 三日月と待月

著者
陳 馳
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
no.29, pp.93-103, 2020-12-20

三日月は太陽の光を反射する角度により, 一ヶ月の中で最初に夜空に出てくる月である. 国文学では三日月はなかなか待月と結びつきにくいが, 中国では一ヶ月中, 全ての月が待月の対象となっているため, 中国の漢詩文には三日月の待月は存在する. 平安時代において, 三日月の待月の国文学の例は見られないのに対して, 漢詩文では, その受容は一時見られるが, やはり広く浸透しなかったのである. その原因は, 平安時代において, 待月といえば満月以降の月という印象が強すぎたためと考えられる. しかし, 鎌倉時代に入ると, 初秋の三日月という表現から派生した, 悲秋観を表す待月の例が見られるようになった. さらに時代が下ると, 三日月の待月は春の三日月も詠まれるようになって発展を遂げた. ただし, いずれの三日月の待月は, 漢詩文の表現と通じる部分があるが, 独特な感性が感じられる, 日本独自の観月の表現であり, 漢詩から受容したものではなかったと言えよう.