著者
郭 玲玲
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.25-43, 2015-03

『弟子』は師孔子に教化されつつも、己を堅持する子路を描いている。従来の研究では孔子を『わが西遊記』の三蔵法師と同様に規範的な存在と捉え、己を堅持する子路像は中島敦自身の「愚かさ」に由来すると論じられている。本稿では『弟子』とほぼ同時期に創作された『わが西遊記』との比較により、三蔵法師と同様に規範的な存在である孔子像に変化が起こることを解明した。『わが西遊記』の三蔵法師は菩薩によって悟浄や悟空の師として指定されたものであり、弟子への指導は見られない。一方、『弟子』の孔子は子路が自ら選んだ師であり、彼は子路を積極的に指導する。そして子路の不満を抑えず、その己を堅持する姿勢を美点と認める。ことに子路の不満を理解する孔子像は中島敦なりの思考を示し、己を堅持する子路像の成立に不可欠な存在である。また、子路は行動者悟空と思索者悟浄の特質を兼ね備え、さらに己の人生を自ら切り開こうとする意欲がみられる。これにより、彼は師孔子に教化されているうちに真の己に気づく。規範とする師にも屈しないことは己の存在に対する肯定である。これは中島文学における新たな展開と見なす。更に、子路のモデルである斗南先生の著作と当時の礼儀作法を考察し、中島敦が創造した子路像―形式的な礼に抵抗感を示す一面は当時の形式的な礼への中島の批判も込められていることを明らかにした。
著者
郭 玲玲
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.11, pp.167-179, 2013-03

中島敦的《名人傳》是其生前正式發表的最後一篇小說。小說主人公紀昌從一個默默無名之輩最後成了射箭的"名人",對他的解讀一直都是肯定性的看法,認為其成了真正的名人。在文本解讀中,筆者發現首先承認紀昌為"名人"的是其老師飛衛,那麼飛衛承認弟子紀昌為"名人"的目的則是考察的關鍵所在。本稿擬從新的原典考察入手,以飛衛的形象分析為切入點,解讀飛衛的心裡活動,以及承認弟子紀昌成為"名人"的背後原因。此外,從紀昌這一人物本身出發,參照甘蠅分析其外貌變化,並對飛衛,甘蠅和朋友對紀昌的稱呼發生的變化進行考察,論證紀昌這一"名人"形象的可靠性,以期解讀作者中島敦對紀昌這一"名人"形象的創作意圖。