著者
牛見 真博
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.18, pp.374-361, 2020-03

従来、近世における一人称代名詞「僕」の使用について言及している研究は、その用例の検討も含めて限られているのが現状である。その中で、近代以前における一人称代名詞「僕」の自覚的な使用は、幕末に始まるものとして捉えられてきた観があり、その傍証として長州藩の吉田松陰による「僕」の多用が指摘されている。しかしながら、そうした「僕」の自覚的な使用は、さらに百年以上を遡り、すでに江戸中期の長州藩の山県周南の用例に見られる。山県周南(一六八七─一七五二)は、十九歳で江戸の荻生徂徠に入門して古文辞学を修め、徂徠門下では最も早い時期からその薫陶を受けた。帰郷後は、長州藩校明倫館の創設時から深く関わり、徂徠が樹立した学問体系である徂徠学を藩校での教学に導入し第二代学頭を務めるなど、その継承と喧伝に努めた。その後、百二十年以上の長きにわたり、長州藩の学問・教育は徂徠学の影響のもとで展開されるに至っている。 本稿では周南による三三の用例の全てを掲げ、「僕」がどのような使用をみているか、主だった特徴について検討し、次のことを指摘した。一人称代名詞としての「僕」は司馬遷『史記』を初出とし、周南は自ら藩の修史にも携わる歴史重視の姿勢と司馬遷への私淑から、『史記』に見られる「僕」の語を使用するようになった。また、『漢書』司馬遷伝における「僕」の多用に影響を受けたものと考えられる。周南による「僕」の使用は、謙遜の意と相手への高い敬意を旨としており、これは、「僕」は対等・目下の相手に使われたという先行研究とは明らかに異なるものである。一方、松陰による「僕」の多用は、藩内教学の祖である山県周南による使用に想を得ながらも、自らを他者に劣る存在であることを強調して表現したものである。松陰は「僕」を、内心を自由に吐露するのに相応しい語として自覚的に用いている。以上のように、松陰における「僕」の使用の内実も、対等・目下の相手に使用するという従来の見解とは異なることを指摘した。
著者
呉 松梅
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.18, pp.1-11, 2020-03

「夢」は日本と中国の古典文学にしばしば登場する。『源氏物語』に登場する数々の夢の中で、明石の君が生まれる時に明石の入道の見た夢は、物語の展開に重要な役割を担っている。この夢に関して古注釈書『花鳥余情』は皇后と天皇の明石一族からの誕生を予言する夢だと解し、従来の論は殆どそれを踏まえている。ただし、一族の栄華を予告したこの夢を固く信じ、その実現に一生を賭けた明石の入道が、夢を解読した後、すぐに京を離れ明石に下り、二度と帰京しなかった行動にはまだ謎が残っている。本文によれば、夢を見た後、入道は「俗の方の書を見はべしにも、また内教の心を尋ぬる中にも、夢を信ずべきこと多くはべし」とあって、つまり漢籍や仏典などいろんな書物を調べた後、夢を信じるべしと判断し、明石に下ったことになっているのである。果たして書物は入道に対していかなる示唆を与えたのであろうか。このような問題意識のもとに、明石という場所が夢の実現に結びつく必然性を探るため、本論では漢籍の夢の解き方を手がかりとして考察した。歴史書、筆記、伝奇などの漢籍にたびたび登場する夢も、将来を予告するような重要な機能を果たしている。『史記』や『三国志』、『北斉書』などの歴史書、それに唐代の随筆集『朝野僉載』に記された幾つかの予告夢を分析すると、漢籍に多く見られる夢解きの方法に「漢字占い」があると分かる。特に予告夢の場合、この方法がより多く使われているようである。 同様の漢字の分解、組み合わせの方法は、古来より日本人にも熟知されており、平安時代の詩文に多々見られる。日本最古の例は『万葉集』に見られる。他に、『和漢朗詠集』などにも同じ手法が使われている。漢籍では予告夢の解き方としてよく使われ、平安時代の日本の文人にも熟知されている漢字の分解や組み合わせを用いて『源氏物語』若菜上巻の明石入道の夢を解読するならば、一族の栄華の実現に関わる場所のヒントが明石入道の夢に読み取れよう。
著者
満江 亮
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.10, pp.67-88, 2012-03

若者たちの悩みの多くは、自らの杜会的役割に関するものである。しかし、「私とは誰か」という形而上学的・存在論的問いに悩まされる若者も少なくない。この悩みは人学が学び成長することとも関わっているが、はたしてこのような形而上学的・存在論的な悩みすらも社会的役割の問題として理解されてよいのだろうか。それは、まるで全ての人間の生活が社会という舞台の上で与えられた役柄を演じることのみになりはしまいか。だが、人問は学び続けるとか選択しなおすという活動を通して、獲得した役柄を捨て去り、はっきりとは意識しないまでも、存在の根源的レベルで「私とは誰か」と問い続けながら生活しているはずである。こうした問題を巡って、本稿初盤では、まず人間の存在の根源性に関する廣松渉とジャン-ポール・サルトルそれぞれの哲学的主張をとりあげ、その異同を考察する。これは〈私〉の意識の存在の根源性を巡るものである。筆者は、人格概念に近い社会性を持った人間のあり方が根源的であるとする廣松の主張と、意識の深層に自分をも否定しうる働きをもつ人間の在り方が根源的であるとするサルトルの主張の対立の整理を試み、意識の根源に触れようとする存在論的議論を教育学で行うことの意義を確認する。また、中盤では、サルトルによりながら、現代のある大学生が旅の途中で経験した、人間の意識の深層に関わる自己欺騰の事例を扱う。さらに終盤では、サルトルによる世界の根源的選択に依りながら自分探しの旅の記録を読み取ることによって、ある大学生の世界選択の変遷を辿る。これらの考察によって、人間の意識の根源に半透明的に確認できる根源的否定を見出し、その重要性を明らかにする。こうした議論を踏まえたうえで、最終的に筆者は、人間の存在論的次元、すなわち意識の深層における根源的否定に着目することで、現代の自己形成の問題について新生面が見出せるとする。
著者
馬 銘浩 吉村 誠
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.18, pp.289-303, 2020-03

中国六朝時代に発達した「閨怨詩」は『詩経』を源流とし、漢代の文学に対する経学思想から解放され、人間の内面を深めて行った実相と感応する文学的なとらえ方の中に成立する。それは劉勰の『文心雕龍』に代表される「詩学」とも言うべき理論の中で整備され、人間性が色濃く出た文学創作である。一方、それらの詩文が日本にもたらされ、『万葉集』にその足跡を見ることが出来る。ただ中国文学とは異なり、実質的な内容に自発的に表現が獲得されたのではなく、中国文学の思潮の中で表現が用いられたと言ってよい。従って文学的作為の中で「閨怨詩」の影響はあると指摘出来る。
著者
山根 望
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.9, pp.21-40, 2011-03

妊娠が判明してから女性は、激しい身体的・心理的・社会的変化を経験する。特に、初産婦は心理的葛藤を抱える場合が多い。夢は夢主に関する豊かな情報を含み持っているので、妊娠中に女性が心理的に母親になっていくプロセスを明らかにするために初産婦の夢を調査することは非常に有効である。しかしながら、初産婦の夢に関する縦断的研究はほとんど行われていない。本研究では、5人の初産婦から合計165個の夢を収集し、母性に関連する夢の機能という観点から分析した。本研究では、操作的に定義すれば、母性とは次の4つの要素から成る。すなわち、(1)生理、妊娠、出産、授乳などの母性的身体機能、(2)自分よりか弱い者に対する「かわいい」「いとおしい」といった母性的感情、(3)子どもの要求を満たし、適切な養育を行う母性的行動、(4)「この子は私の子どもである」「私はよき母親になりたい」といった母性的意識である。分析をする際には、できる限り夢についての夢主の連想や感想に基づいて夢解釈を行った。その結果、5人に限って言えば、母性に関する機能が少なくとも5つあることが明らかになった。すなわち、(1)受胎を教える機能、(2)母性的行動を練習させる機能、(3)出産に対する準備をさせる機能、(4)育児に関する助言をする機能、(5)母性的意識の発達を促す機能である。妊娠期から夢は母性的行動に関わる具体的場面を設け、夢主に母性的行動を練習させていた。母性的行動(授乳)を練習するなかで夢主の育児不安が減り、母性的感情や母性的意識が発達した事例が2つあった。また、子どもの性別や障害に関する不安が現れた夢を見ることによって、夢主の母性的感情や母性的意識が発達した事例が1つあった。母性に関連した夢を見る頻度は個人差が非常に大きかったが、これは初産婦の性格やそれまでの乳幼児との関わりなど様々な要因が影響していた。
著者
王 雪
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.141-165, 2017-03

r化語は北京語の特色として、近代日本の北京官話教育時期に日本人によって学習された。『語言自邇集』はr化語は北京語に多いと指摘している1。陳明娥(2014)は日本の明治時期北京官話教材の語彙の特色の1つは、r化語が豊富に収録されていることであると論証した2。しかし、明治・大正期における日本人のr化音に対する認識についての研究はなされてこなかったのが現状である。r化音への認識について、筆者が調べたところ、意外にも言語学上の規則に従っている精密さがみられる。そのうち、『日漢英語言合璧』(鄭永邦3・呉大五郎4、1888)のr化語に ついての記述と注音上の様々な工夫は、その時期においては先駆的であったといえる。本論は、『日漢英語言合璧』を主に、明治・大正時代の13点の北京官話学習書に記されているr化音に関わる記述を考察した。結果的に、大部分の日本人のr化語とr化音に対する認識における科学性が乏しかった。韻尾の条件によるr化の音交替は明治・大正時代の日本人がまだ踏み込んでいなかった未知の領域であろう。しかし、『日漢英語言合璧』はほぼ完璧に発音を表しうる仮名表記系統をもち、r化音と音交替に対する科学的な認識は、当時最高の位置付けがなされる。
著者
韓 慧
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.10, pp.1-24, 2012-03
被引用文献数
1

近年、少子・高齢化の進展や医療技術の進歩により看護師へのニーズが高まり、医療現場では看護師不足問題が深刻になっていると指摘されている。それでは、日本における看護師不足問題が深刻だと叫ばれてきたのはどのような理由からであろうか?その理由を語るには、日本の看護師不足がどのような状況にあるか、その実態を明白にしなければならない。本稿の目的は、マクロデータを整理し、分析することによって、日本の看護師不足の実態を多様な側面から明らかにすることである。本稿は、初めに研究背景と目的を述べ、第2説では先行研究や調査データをもとに、看護師の需給見直しの問題点、看護師需給状況に関する国際比較、就業場所別不足と地域別・規模別による看護師偏在など、多様な側面から看護師不足の実態を明らかにした。また、量的な不足だけでなく、看護師の若年化の進展や高い離職率によって、熱練看護師が十分に育たず、看護の質の低下につながる恐れがあるとわかった。次に、第3説では、看護師の離職間題と離職理由に関するデータをまとめ、看護師の人材流出の現状をみる。加えて看護師免許の所有者の3割を占める潜在看護師が復職した理由についてみる。第4節では、これまで発生した看護師不足に対して、政府が打ち出した対応策とその効果をまとめる。最後の結論では、日本の「看護師不足」の中身を明らかにした上で、これまでの看護師不足対策の問題点、更に今後どう見直すべきかの展望について検討する。本稿の考察結果から、日本の看護師不足は今後さらに深刻になる恐れがあると判明した。これは、日本政府は今後、看護師問題を重視し、看護師のワーク・ライフバランスの達成に向けて支援対策を十分に行うことが重要であると示唆する。
著者
程 青
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.14, pp.51-62, 2016-03

『源氏物語』に登場してくる六条御息所は, 物の怪という怪異現象と関わりを持つこともあって, その性格造型は気性の激しい印象を与えるものとなっている. 『源氏物語』の中で, 光源氏を主人公とする正編の世界では, その六条御息所の物の怪が, 死霊としてのみならず, 生霊としても現れている. 本稿で注目するのは, この六条御息所の生霊化に関わって用いられてくる「恥」という表現である. 考察を展開する上で参照するのは, 記紀神話に描かれている「恥」である. 記紀神話には, 恥をかいた神が祟りを為すという型の話が散見する. この型の話を手がかりとして, 本稿では六条御息所を"恥をかいた神"と看做し, その生霊化の契機について検討してゆく. 六条御息所の生霊化の背景を探る一視点として, 従来の研究では, 平安時代に発生した御霊信仰との関わりが指摘されてきた. 実際, 物語には, 六条御息所の怨霊化(生霊化), その怨霊の祟り, そしてその怨霊に対する鎮魂という, 御霊信仰の生成過程を窺わせるプロセスが描かれてもいる. 本稿ではこれを踏まえつつ, 特に最後の段階となる鎮魂について, 再検討を図ることになる. 注目するのは, 「葵」巻に現われてきた六条御息所の生霊が, 光源氏と対面した際に, 自ら「魂結び」を要求している点である. これを本稿では封印と解する. 続く「賢木」巻において, 六条御息所は都を離れて伊勢へ下向する. これは, 娘である斎宮に同伴しての下向となる. 斎宮は, 天皇の代理として伊勢へ赴く, いわば国家最高位の巫女である. 本稿では, そういった斎宮の, 巫女としての象徴性から窺える機能についても検討を加える. そして, その象徴的機能を, "祟り神としての天照大神の鎮魂と封印"と解せる可能性について論じる. 以上の検討を踏まえ, 本稿では, 六条御息所の生霊化に限定されるのではなく, 伊勢下向をも含む範囲で御霊信仰の生成過程が物語の文脈に構造化されていることを明らかにする.
著者
劉 捷
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.366-356, 2015-03

七世紀の中葉に新羅で編纂された『天地瑞祥志』は,かつて,朝鮮ならびに日本の読書人に広く受け入れられた書物である. その内容は,天地の間に存在するさまざまな符応に関する知識を収集した類書であり,時代が異なり,性質も異なるさまざまな古典文献を引用している. そのうち,動物の符応に関する「禽惣載」と「兽惣載」においては,『山海経』という特別な先秦文献が極めて大きな役割を果たしている. 『山海経』に登場する奇妙な形状や習性を持つ「怪物」たちは,『天地瑞祥志』において政治的な機能を有する「瑞祥」と見なされ,核心的な資料として各項目の記載内容を支えている. 基本的に中国の典籍を引用して編纂された書物であるが,『天地瑞祥志』の『山海経』や儒学についての観点は,同時代の中国の学術界のそれと明らかに異なっている. すなわち,朝鮮の『山海経』学者は,魏晋時代の郭璞や酈道元のように自然主義の観点から『山海経』を研究することはなく,劉向,劉歆といった漢代の学者と同樣の符応の思想を取り入れ,中国の学者によって動物と見なされた「鳥獸」を,国家の命運を左右する「瑞祥」とした. (以下,略)
著者
姚 継中
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.287-302, 2015-03

中国に於いて,今まで『源氏物語』に関する翻訳検証研究を厳格に行った学者は殆ど居ない. その原因を探ってみると,二つある. 一つは,功利性を求めるあまりに日中両言語の対比論証に分け入らず,翻訳者を大雑把に評価し,翻訳作品に少し目を通しただけで批評を済ませてしまうからである. 二つ目は,『源氏物語』の翻訳検証研究の難易度が高く,研究期間も長期に及ぶからである. 本稿では,『源氏物語』に関する翻訳検証を目的とし,特に『源氏物語』における和歌の翻訳を例としながら,(1)翻訳理論と翻訳実践のパラドックス;(2)翻訳検証研究の学術性とリスク;(3)『源氏物語』和歌翻訳のジレンマ;(4)豊子愷,林文月,姚継中,各氏の翻訳した和歌の比較検証といった四つの面から,『源氏物語』に関する翻訳検証研究の必要性及び実行可能性を論述する. 『源氏物語』の翻訳者として,作者の創作意図と作品の趣きを十全に翻訳しようと努めるのは,当たり前のことのように思われるが,翻訳のプロセスは,実にさまざまな条件によって制約を受けてもいる. 特に和歌の翻訳は,ただ単に「言語→表象→意味」を理解した後に,「意味→表象→言語」へと変換すればよいというものではなく,言語認知,文学認知,文化認知及び言語表現,文学表現,文化表現などを含む複雑なプロセスを介するのである. それゆえ,いくら優れた翻訳者であっても,和歌の翻訳で「信,達,雅」に到達することは非常に難しい. しかし,だからといって我々は「信,達,雅」に到達することを諦めるわけにはいかない. 「信,達,雅」への到達を前提条件としつつ,『源氏物語』にある和歌の翻訳を検証し,その研究成果を学術界に問うというのが本稿の姿勢である.
著者
小柴 久子
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.8, pp.37-51, 2010-03

戦後日本の高度経済成長は、経済発展至上主義の下、強力な官僚制によって主導された。それを一方で支えたのは、「男性稼ぎ主型」家族を基盤にした日本型雇用システムと日本型福祉である。しかし、1980年代末にバブル経済がはじけ、90年代以降の「失われた10年」によって、日本は、もはや右肩上がりの経済発展は望めなくなった。また、急速に進展するグローバリゼーションの影響によって、労働市場の規制緩和を初めとする様々な規制緩和が進み、これは日本のこれまでの社会システムを破壊しながら、富める者と貧しき者=社会的弱者との格差を急激に拡大させていった。この過程で、これまで見過ごされてきた、様々な政治課題が浮上し、それらの解決が緊急かつ強力に社会から要請された。これは、言い換えれば、経済発展至上主義や企業中心社会の論理から、生活者の視点への転換であり、官僚制から市民参画型政治への政治システム変革の流れである。そこで本稿では、市民参画型政治の具体的例として、日本のDV政策について考察する。DV政策は、日本のジェンダー政策の中でもとりわけ市民参画が進んだ分野である。すなわち、2001年にDV防止法は議員立法で制定されたのち、二度の改正DV防止法は市民立法によって制定された。また、その制定過程では、被害当事者や支援者たちの声が強く反映されるものとなった。したがって、本稿では、まず、このDV防止法の制定過程を「市民参画」の視点から検証した。さらに、DV施策を実施する立場である地方自治体では、民間支援団体と行政との協働がいかに行われているかについて、いくつかの地方自治体のDV防止基本計画とその実態を比較分析することによって見てみた。その結果、地方自治体と民間支援団体との協働ができているところは、きめ細かな支援が行われていること、行政とのチャンネルができていることがわかった。さらに、地域間格差が大きいことが分かった。地方自治体において実効性のあるDV防止施策を展開するためには、行政と民間支援団体との協働関係が必要不可欠であることが実証された。
著者
郭 玲玲
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.25-43, 2015-03

『弟子』は師孔子に教化されつつも、己を堅持する子路を描いている。従来の研究では孔子を『わが西遊記』の三蔵法師と同様に規範的な存在と捉え、己を堅持する子路像は中島敦自身の「愚かさ」に由来すると論じられている。本稿では『弟子』とほぼ同時期に創作された『わが西遊記』との比較により、三蔵法師と同様に規範的な存在である孔子像に変化が起こることを解明した。『わが西遊記』の三蔵法師は菩薩によって悟浄や悟空の師として指定されたものであり、弟子への指導は見られない。一方、『弟子』の孔子は子路が自ら選んだ師であり、彼は子路を積極的に指導する。そして子路の不満を抑えず、その己を堅持する姿勢を美点と認める。ことに子路の不満を理解する孔子像は中島敦なりの思考を示し、己を堅持する子路像の成立に不可欠な存在である。また、子路は行動者悟空と思索者悟浄の特質を兼ね備え、さらに己の人生を自ら切り開こうとする意欲がみられる。これにより、彼は師孔子に教化されているうちに真の己に気づく。規範とする師にも屈しないことは己の存在に対する肯定である。これは中島文学における新たな展開と見なす。更に、子路のモデルである斗南先生の著作と当時の礼儀作法を考察し、中島敦が創造した子路像―形式的な礼に抵抗感を示す一面は当時の形式的な礼への中島の批判も込められていることを明らかにした。
著者
郭 玲玲
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.11, pp.167-179, 2013-03

中島敦的《名人傳》是其生前正式發表的最後一篇小說。小說主人公紀昌從一個默默無名之輩最後成了射箭的"名人",對他的解讀一直都是肯定性的看法,認為其成了真正的名人。在文本解讀中,筆者發現首先承認紀昌為"名人"的是其老師飛衛,那麼飛衛承認弟子紀昌為"名人"的目的則是考察的關鍵所在。本稿擬從新的原典考察入手,以飛衛的形象分析為切入點,解讀飛衛的心裡活動,以及承認弟子紀昌成為"名人"的背後原因。此外,從紀昌這一人物本身出發,參照甘蠅分析其外貌變化,並對飛衛,甘蠅和朋友對紀昌的稱呼發生的變化進行考察,論證紀昌這一"名人"形象的可靠性,以期解讀作者中島敦對紀昌這一"名人"形象的創作意圖。
著者
舩場 大資
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.223-245, 2015-03

本研究は,明治期に創られた「明治武士道」の思想と普及を明らかにするものである. 佐伯真一が,「新渡戸以降の〈武士道〉論や戦後の武士論をたどって,武士の理想化が,その後どのように完成していったのかを一つ一つ跡づけることは,とうてい筆者のなしうるところではない」と述べているように,「明治武士道」のイメージ形成やその普及については不明な点が存在する. そこで,「明治武士道」が,どのような思想をもとに形成され,普及したかという点を中心に考察した. まず,「武士道」ブームの立役者である新渡戸稲造の「武士道」論を再考した. とりわけ,日本で出版された『武士道』に着目し,どのような思想を下地にして「武士道」論を紹介したのかに着目した. 新渡戸は「武士道」規範を説明するさいに,次のように説明した. 例えば,西欧社会の道徳観である「フェアプレイ」の概念を「喧嘩なら堂々とせよ!」と訳し,それは武士の伝統的な価値観でもあったと修辞する手法をとった. すなわち,西欧流の「文明の精神」を「武士道」の価値観として紹介する構造を有していた. (以下,略)
著者
原田 拓馬
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.15, pp.15-29, 2017-03

本研究の目的は、学校改革を引き起こす教師が、自身で立案した学校改革案を学校組織の意思決定の場において成立させることを目指し、実践している〈根回し〉に焦点化した上で、特に自己呈示戦略に着目し、その諸相を描き出すことである。本研究の方法として、ゴフマンの演技論的アプローチに依拠して、行為者個人による「振る舞い方」の諸相を持つ自己呈示戦略を分析した清水の枠組みを援用する。学校組織のフォーマルな意思決定の場での学校改革案の成立という目的のもと、その提案以前の段階でのインフォーマルな場で実践される〈根回し〉に焦点化し、そこで組織される自己呈示戦略が、いかなる諸相を持つのか、という点を分析する。本研究の知見は、次の2点である。第1に、学校組織の意思決定の場での学校改革案の提案以前の段階で、インフォーマルな場において実践される〈根回し〉とは、《秘匿性》という基本的特徴のもと、学校改革案の確実な成立を目指して実践されていることが明らかになった。第2に、その〈根回し〉として、学校組織の意思決定の場での権限を持つ存在に対し、学校改革案の成立への支援を促すべく、①《利益供与者》、②《理解者》、③《献身者》、④《秘密の暴露=共有者》という自己呈示戦略を組織していたこと、また、学校組織の意思決定の場で反対意見を出す可能性のある存在に対し、学校改革案の成立の妨害を阻止するために、⑤《相談者》という自己呈示戦略を組織していたことが明らかになった。