著者
満江 亮
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.10, pp.67-88, 2012-03

若者たちの悩みの多くは、自らの杜会的役割に関するものである。しかし、「私とは誰か」という形而上学的・存在論的問いに悩まされる若者も少なくない。この悩みは人学が学び成長することとも関わっているが、はたしてこのような形而上学的・存在論的な悩みすらも社会的役割の問題として理解されてよいのだろうか。それは、まるで全ての人間の生活が社会という舞台の上で与えられた役柄を演じることのみになりはしまいか。だが、人問は学び続けるとか選択しなおすという活動を通して、獲得した役柄を捨て去り、はっきりとは意識しないまでも、存在の根源的レベルで「私とは誰か」と問い続けながら生活しているはずである。こうした問題を巡って、本稿初盤では、まず人間の存在の根源性に関する廣松渉とジャン-ポール・サルトルそれぞれの哲学的主張をとりあげ、その異同を考察する。これは〈私〉の意識の存在の根源性を巡るものである。筆者は、人格概念に近い社会性を持った人間のあり方が根源的であるとする廣松の主張と、意識の深層に自分をも否定しうる働きをもつ人間の在り方が根源的であるとするサルトルの主張の対立の整理を試み、意識の根源に触れようとする存在論的議論を教育学で行うことの意義を確認する。また、中盤では、サルトルによりながら、現代のある大学生が旅の途中で経験した、人間の意識の深層に関わる自己欺騰の事例を扱う。さらに終盤では、サルトルによる世界の根源的選択に依りながら自分探しの旅の記録を読み取ることによって、ある大学生の世界選択の変遷を辿る。これらの考察によって、人間の意識の根源に半透明的に確認できる根源的否定を見出し、その重要性を明らかにする。こうした議論を踏まえたうえで、最終的に筆者は、人間の存在論的次元、すなわち意識の深層における根源的否定に着目することで、現代の自己形成の問題について新生面が見出せるとする。
著者
山根 望
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.9, pp.21-40, 2011-03

妊娠が判明してから女性は、激しい身体的・心理的・社会的変化を経験する。特に、初産婦は心理的葛藤を抱える場合が多い。夢は夢主に関する豊かな情報を含み持っているので、妊娠中に女性が心理的に母親になっていくプロセスを明らかにするために初産婦の夢を調査することは非常に有効である。しかしながら、初産婦の夢に関する縦断的研究はほとんど行われていない。本研究では、5人の初産婦から合計165個の夢を収集し、母性に関連する夢の機能という観点から分析した。本研究では、操作的に定義すれば、母性とは次の4つの要素から成る。すなわち、(1)生理、妊娠、出産、授乳などの母性的身体機能、(2)自分よりか弱い者に対する「かわいい」「いとおしい」といった母性的感情、(3)子どもの要求を満たし、適切な養育を行う母性的行動、(4)「この子は私の子どもである」「私はよき母親になりたい」といった母性的意識である。分析をする際には、できる限り夢についての夢主の連想や感想に基づいて夢解釈を行った。その結果、5人に限って言えば、母性に関する機能が少なくとも5つあることが明らかになった。すなわち、(1)受胎を教える機能、(2)母性的行動を練習させる機能、(3)出産に対する準備をさせる機能、(4)育児に関する助言をする機能、(5)母性的意識の発達を促す機能である。妊娠期から夢は母性的行動に関わる具体的場面を設け、夢主に母性的行動を練習させていた。母性的行動(授乳)を練習するなかで夢主の育児不安が減り、母性的感情や母性的意識が発達した事例が2つあった。また、子どもの性別や障害に関する不安が現れた夢を見ることによって、夢主の母性的感情や母性的意識が発達した事例が1つあった。母性に関連した夢を見る頻度は個人差が非常に大きかったが、これは初産婦の性格やそれまでの乳幼児との関わりなど様々な要因が影響していた。
著者
程 青
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.14, pp.51-62, 2016-03

『源氏物語』に登場してくる六条御息所は, 物の怪という怪異現象と関わりを持つこともあって, その性格造型は気性の激しい印象を与えるものとなっている. 『源氏物語』の中で, 光源氏を主人公とする正編の世界では, その六条御息所の物の怪が, 死霊としてのみならず, 生霊としても現れている. 本稿で注目するのは, この六条御息所の生霊化に関わって用いられてくる「恥」という表現である. 考察を展開する上で参照するのは, 記紀神話に描かれている「恥」である. 記紀神話には, 恥をかいた神が祟りを為すという型の話が散見する. この型の話を手がかりとして, 本稿では六条御息所を"恥をかいた神"と看做し, その生霊化の契機について検討してゆく. 六条御息所の生霊化の背景を探る一視点として, 従来の研究では, 平安時代に発生した御霊信仰との関わりが指摘されてきた. 実際, 物語には, 六条御息所の怨霊化(生霊化), その怨霊の祟り, そしてその怨霊に対する鎮魂という, 御霊信仰の生成過程を窺わせるプロセスが描かれてもいる. 本稿ではこれを踏まえつつ, 特に最後の段階となる鎮魂について, 再検討を図ることになる. 注目するのは, 「葵」巻に現われてきた六条御息所の生霊が, 光源氏と対面した際に, 自ら「魂結び」を要求している点である. これを本稿では封印と解する. 続く「賢木」巻において, 六条御息所は都を離れて伊勢へ下向する. これは, 娘である斎宮に同伴しての下向となる. 斎宮は, 天皇の代理として伊勢へ赴く, いわば国家最高位の巫女である. 本稿では, そういった斎宮の, 巫女としての象徴性から窺える機能についても検討を加える. そして, その象徴的機能を, "祟り神としての天照大神の鎮魂と封印"と解せる可能性について論じる. 以上の検討を踏まえ, 本稿では, 六条御息所の生霊化に限定されるのではなく, 伊勢下向をも含む範囲で御霊信仰の生成過程が物語の文脈に構造化されていることを明らかにする.
著者
劉 捷
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.366-356, 2015-03

七世紀の中葉に新羅で編纂された『天地瑞祥志』は,かつて,朝鮮ならびに日本の読書人に広く受け入れられた書物である. その内容は,天地の間に存在するさまざまな符応に関する知識を収集した類書であり,時代が異なり,性質も異なるさまざまな古典文献を引用している. そのうち,動物の符応に関する「禽惣載」と「兽惣載」においては,『山海経』という特別な先秦文献が極めて大きな役割を果たしている. 『山海経』に登場する奇妙な形状や習性を持つ「怪物」たちは,『天地瑞祥志』において政治的な機能を有する「瑞祥」と見なされ,核心的な資料として各項目の記載内容を支えている. 基本的に中国の典籍を引用して編纂された書物であるが,『天地瑞祥志』の『山海経』や儒学についての観点は,同時代の中国の学術界のそれと明らかに異なっている. すなわち,朝鮮の『山海経』学者は,魏晋時代の郭璞や酈道元のように自然主義の観点から『山海経』を研究することはなく,劉向,劉歆といった漢代の学者と同樣の符応の思想を取り入れ,中国の学者によって動物と見なされた「鳥獸」を,国家の命運を左右する「瑞祥」とした. (以下,略)
著者
姚 継中
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.287-302, 2015-03

中国に於いて,今まで『源氏物語』に関する翻訳検証研究を厳格に行った学者は殆ど居ない. その原因を探ってみると,二つある. 一つは,功利性を求めるあまりに日中両言語の対比論証に分け入らず,翻訳者を大雑把に評価し,翻訳作品に少し目を通しただけで批評を済ませてしまうからである. 二つ目は,『源氏物語』の翻訳検証研究の難易度が高く,研究期間も長期に及ぶからである. 本稿では,『源氏物語』に関する翻訳検証を目的とし,特に『源氏物語』における和歌の翻訳を例としながら,(1)翻訳理論と翻訳実践のパラドックス;(2)翻訳検証研究の学術性とリスク;(3)『源氏物語』和歌翻訳のジレンマ;(4)豊子愷,林文月,姚継中,各氏の翻訳した和歌の比較検証といった四つの面から,『源氏物語』に関する翻訳検証研究の必要性及び実行可能性を論述する. 『源氏物語』の翻訳者として,作者の創作意図と作品の趣きを十全に翻訳しようと努めるのは,当たり前のことのように思われるが,翻訳のプロセスは,実にさまざまな条件によって制約を受けてもいる. 特に和歌の翻訳は,ただ単に「言語→表象→意味」を理解した後に,「意味→表象→言語」へと変換すればよいというものではなく,言語認知,文学認知,文化認知及び言語表現,文学表現,文化表現などを含む複雑なプロセスを介するのである. それゆえ,いくら優れた翻訳者であっても,和歌の翻訳で「信,達,雅」に到達することは非常に難しい. しかし,だからといって我々は「信,達,雅」に到達することを諦めるわけにはいかない. 「信,達,雅」への到達を前提条件としつつ,『源氏物語』にある和歌の翻訳を検証し,その研究成果を学術界に問うというのが本稿の姿勢である.
著者
王 雪
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.141-165, 2017-03

r化語は北京語の特色として、近代日本の北京官話教育時期に日本人によって学習された。『語言自邇集』はr化語は北京語に多いと指摘している1。陳明娥(2014)は日本の明治時期北京官話教材の語彙の特色の1つは、r化語が豊富に収録されていることであると論証した2。しかし、明治・大正期における日本人のr化音に対する認識についての研究はなされてこなかったのが現状である。r化音への認識について、筆者が調べたところ、意外にも言語学上の規則に従っている精密さがみられる。そのうち、『日漢英語言合璧』(鄭永邦3・呉大五郎4、1888)のr化語に ついての記述と注音上の様々な工夫は、その時期においては先駆的であったといえる。本論は、『日漢英語言合璧』を主に、明治・大正時代の13点の北京官話学習書に記されているr化音に関わる記述を考察した。結果的に、大部分の日本人のr化語とr化音に対する認識における科学性が乏しかった。韻尾の条件によるr化の音交替は明治・大正時代の日本人がまだ踏み込んでいなかった未知の領域であろう。しかし、『日漢英語言合璧』はほぼ完璧に発音を表しうる仮名表記系統をもち、r化音と音交替に対する科学的な認識は、当時最高の位置付けがなされる。
著者
舩場 大資
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.223-245, 2015-03

本研究は,明治期に創られた「明治武士道」の思想と普及を明らかにするものである. 佐伯真一が,「新渡戸以降の〈武士道〉論や戦後の武士論をたどって,武士の理想化が,その後どのように完成していったのかを一つ一つ跡づけることは,とうてい筆者のなしうるところではない」と述べているように,「明治武士道」のイメージ形成やその普及については不明な点が存在する. そこで,「明治武士道」が,どのような思想をもとに形成され,普及したかという点を中心に考察した. まず,「武士道」ブームの立役者である新渡戸稲造の「武士道」論を再考した. とりわけ,日本で出版された『武士道』に着目し,どのような思想を下地にして「武士道」論を紹介したのかに着目した. 新渡戸は「武士道」規範を説明するさいに,次のように説明した. 例えば,西欧社会の道徳観である「フェアプレイ」の概念を「喧嘩なら堂々とせよ!」と訳し,それは武士の伝統的な価値観でもあったと修辞する手法をとった. すなわち,西欧流の「文明の精神」を「武士道」の価値観として紹介する構造を有していた. (以下,略)
著者
小柴 久子
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.8, pp.37-51, 2010-03

戦後日本の高度経済成長は、経済発展至上主義の下、強力な官僚制によって主導された。それを一方で支えたのは、「男性稼ぎ主型」家族を基盤にした日本型雇用システムと日本型福祉である。しかし、1980年代末にバブル経済がはじけ、90年代以降の「失われた10年」によって、日本は、もはや右肩上がりの経済発展は望めなくなった。また、急速に進展するグローバリゼーションの影響によって、労働市場の規制緩和を初めとする様々な規制緩和が進み、これは日本のこれまでの社会システムを破壊しながら、富める者と貧しき者=社会的弱者との格差を急激に拡大させていった。この過程で、これまで見過ごされてきた、様々な政治課題が浮上し、それらの解決が緊急かつ強力に社会から要請された。これは、言い換えれば、経済発展至上主義や企業中心社会の論理から、生活者の視点への転換であり、官僚制から市民参画型政治への政治システム変革の流れである。そこで本稿では、市民参画型政治の具体的例として、日本のDV政策について考察する。DV政策は、日本のジェンダー政策の中でもとりわけ市民参画が進んだ分野である。すなわち、2001年にDV防止法は議員立法で制定されたのち、二度の改正DV防止法は市民立法によって制定された。また、その制定過程では、被害当事者や支援者たちの声が強く反映されるものとなった。したがって、本稿では、まず、このDV防止法の制定過程を「市民参画」の視点から検証した。さらに、DV施策を実施する立場である地方自治体では、民間支援団体と行政との協働がいかに行われているかについて、いくつかの地方自治体のDV防止基本計画とその実態を比較分析することによって見てみた。その結果、地方自治体と民間支援団体との協働ができているところは、きめ細かな支援が行われていること、行政とのチャンネルができていることがわかった。さらに、地域間格差が大きいことが分かった。地方自治体において実効性のあるDV防止施策を展開するためには、行政と民間支援団体との協働関係が必要不可欠であることが実証された。
著者
李 夫平
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.15, pp.167-179, 2017-03

自然音の模倣として言語へ導入される擬声語には歴史的な変遷における語音、語形、語義の変化が生じると考えられる。中国語の擬声語の場合、語音、語形、語義の変化によって通用語や多義語となる現象が見られる。擬声語を共通語の標準に合わせるには擬声語の用字、発音と意味などの要素を考えなければならないため、それらの要素の歴史的な変化状況を調べる必要がある。本論では、「吧」を取り上げ、単音節擬声語の「吧」と「吧」を第一字とする多音節擬声語の歴史的な変化を考察した。結論として、「吧」のような単音節擬声語でも「吧」を含む多音節擬声語でも、通用語などの現象がよく見られる。従って、歴史的な言語の変化に伴って、擬声語の意味などの面で、時代により変化した傾向が見られる。また、変化の過程で通用語現象なども生じるため、擬声語の使用の規則性を見ることは難しい。
著者
趙 暁燕
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.157-171, 2015-03

明石姫君という人物は,光源氏が流謫生活を送っていた頃に,明石の浦で受領の娘である明石の君との間で儲けた女君である. 帰京して,政界復帰を果たした光源氏は,辺境での出生,及び地方官の娘腹という明石姫君の出自を「口惜し」と思っている. 本稿で注目するのは,その姫君の出産から袴着までに至る人生儀礼の諸相を語る物語の文脈において,光源氏の姫君に対する「口惜し」という表現が頻出する点である. また,本稿では姫君の裳着という儀礼についても考察を展開する. 特に,裳着において重要な役割を果たす腰結役に着目し,その「腰結役」に込められた象徴的な意味を検討してゆく. 光源氏によって領導される姫君の人生儀礼とは,明石姫君の身に存在する「口惜し」き要素を段階的に取り除く営みとして捉えることができる. 実際に物語では,袴着以降,明石姫君に関して「口惜し」という表現が消失することになっている. そして,袴着の次の段階の人生儀礼,即ち成人儀礼となる裳着において,明石姫君の運命が決定的に変更される契機を迎える. 本稿で注目するのはその裳着における腰結役である. これは,男子の元服における加冠役と同じく,儀礼にとって重要な存在となる. 通常,腰結役は男性が務めるものであるが,明石姫君の裳着については,女性が腰結役であるという点において,留意すべき事例であると考えられる. 女性が「腰結役」を務めることによって生み出されてくる意味とは何か. 本稿では,この「腰結役」となる秋好中宮をめぐって,史料を参照しつつ,物語内部の論理としてそれを考察する. 加えて,秋好中宮の斎宮という経歴にも着目し,その神話的イメージをも探ることになる.
著者
郭 玲玲
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.13, pp.25-43, 2015-03

『弟子』は師孔子に教化されつつも、己を堅持する子路を描いている。従来の研究では孔子を『わが西遊記』の三蔵法師と同様に規範的な存在と捉え、己を堅持する子路像は中島敦自身の「愚かさ」に由来すると論じられている。本稿では『弟子』とほぼ同時期に創作された『わが西遊記』との比較により、三蔵法師と同様に規範的な存在である孔子像に変化が起こることを解明した。『わが西遊記』の三蔵法師は菩薩によって悟浄や悟空の師として指定されたものであり、弟子への指導は見られない。一方、『弟子』の孔子は子路が自ら選んだ師であり、彼は子路を積極的に指導する。そして子路の不満を抑えず、その己を堅持する姿勢を美点と認める。ことに子路の不満を理解する孔子像は中島敦なりの思考を示し、己を堅持する子路像の成立に不可欠な存在である。また、子路は行動者悟空と思索者悟浄の特質を兼ね備え、さらに己の人生を自ら切り開こうとする意欲がみられる。これにより、彼は師孔子に教化されているうちに真の己に気づく。規範とする師にも屈しないことは己の存在に対する肯定である。これは中島文学における新たな展開と見なす。更に、子路のモデルである斗南先生の著作と当時の礼儀作法を考察し、中島敦が創造した子路像―形式的な礼に抵抗感を示す一面は当時の形式的な礼への中島の批判も込められていることを明らかにした。
著者
郭 玲玲
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.11, pp.167-179, 2013-03

中島敦的《名人傳》是其生前正式發表的最後一篇小說。小說主人公紀昌從一個默默無名之輩最後成了射箭的"名人",對他的解讀一直都是肯定性的看法,認為其成了真正的名人。在文本解讀中,筆者發現首先承認紀昌為"名人"的是其老師飛衛,那麼飛衛承認弟子紀昌為"名人"的目的則是考察的關鍵所在。本稿擬從新的原典考察入手,以飛衛的形象分析為切入點,解讀飛衛的心裡活動,以及承認弟子紀昌成為"名人"的背後原因。此外,從紀昌這一人物本身出發,參照甘蠅分析其外貌變化,並對飛衛,甘蠅和朋友對紀昌的稱呼發生的變化進行考察,論證紀昌這一"名人"形象的可靠性,以期解讀作者中島敦對紀昌這一"名人"形象的創作意圖。
著者
西村 正登
出版者
山口大学大学院東アジア研究科
雑誌
東アジア研究 (ISSN:13479415)
巻号頁・発行日
no.8, pp.149-164, 2010-03

戦後のアメリカの道徳教育は、次の三大潮流に集約される。第一は、「価値の明確化」による道徳教育である。これは1960年代~70年代にかけてアメリカ西海岸を中心に主知主義的な教育への反省の上に立って、「学校の人間化」をスローガンにして推し進められたものである。第二は、1970年代~80年代にかけてコールバーグを中心にして発展したモラルジレンマによる道徳教育である。コールバーグは道徳的判断に関する3水準6段階の発達段階を提示し、アメリカのみならず広く世界に道徳教育の理論的枠組みを提供した。第三は、1990年代以降に発展したキャラクター・エデュケーションである。これは学校の危機的な状況を救うためには、まず基本的な道徳的内容を直接子どもに教えることが必要であり、民主主義社会に必要な普遍的道徳的価値を教えることが必要であると説いた。本稿では、この3つの道徳教育の理論と実践を比較しながら考察することにより、「道徳教育で普遍的価値を教えるべきか否か?」という問題を教育の原点に立ち返って吟味し、日本の道徳教育の現状も合わせて考察しながら、今日の道徳授業に必要とされるエキスを洗い出していくことを目的にしている。