著者
酒井 多加志
出版者
北海道教育大学釧路校
雑誌
釧路論集 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
no.36, pp.49-56, 2004

江戸時代の北海道の港湾は西廻り航路により、大坂・江戸と結ばれていた。当時、港は船が安全に停泊できる静穏な海水面が得られる場所が選ばれることが多かった。北海道では"松前"と"江差"と"箱館"が蝦夷三湊として賑わった。このうち"松前"は天然の良港ではなかったが、東西蝦夷地の産物の集散場所として適していたこと、海上交易は藩経営と直接結びついていたこと等により、江戸時代を通じて港湾としての機能を果たしていた。日米和親条約締結後、箱館港は外国船の入港ばかりでなく、北海道開拓のゲートウェイとしてもますます発展し、箱館港を中心とする沿岸航路の輸送ネットワークが形成された。明治10年代に入ると、明治政府は殖産興業と富国強兵政策のもと、港湾整備に取りかかったが、北海道では函館港の整備が行われた。明治中頃からは北海道内陸部の開拓の進行とともに小樽港が、そして明治末からは石炭の積出港および工業港としての室蘭港が発展した。戦後、地方港湾の整備が進むとともに、地域開発と結びついた苫小牧港が建設された。苫小牧港は日本最初の本格的な掘込み港湾でもある。現在は北海道一の貨物取扱量を誇るとともに中長距離カーフェリーの航路数および輸送量は全国一となっている。1970年以降はコンテナリゼーションが進行したが、北海道はコンテナ貨物への対応が遅れている。しかし、北海道は東アジアと北アメリカを結ぶ主要国際コンテナルート上に位置しており、また今後の経済発展が期待されている北東アジア(ロシア極東・中国東北部)と地理的に近接している。従って、北海道の港湾はこれら位置的な優位性から北東アジア全体のゲートウェイとしての発展が期待されている。