- 著者
-
野田 正彰
- 出版者
- 京都造形芸術大学
- 雑誌
- 国際学術研究
- 巻号頁・発行日
- 1995
太平洋戦争が終わって半世紀になる。今日の富裕社会・日本の歪みは、敗戦のときに多くの日本人のとった精神病理に遠因するのではないだろうか。天皇制イデオロギーで精神を硬直させていた戦時下の日本人も、死が日常化した暮らしのなかで臨死体験を繰り返し、家族を喪い、人を殺し、家や地域社会を失い、軍隊内の暴力にさらされることによって、深く精神的に傷ついていた。人は受け入れがたい苦悩に直面すると「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)になる。悲惨な事件が意識のなかに反復して侵入し、あるいは事件にかかわる悪夢にうなされる。他人から孤立しているという想いが強くなり、精神の集中は困難になり、抑うつ的となる。さらに、多くの人々が死んでゆくなかで生き残ると、「生き残り症候群」とよばれる精神障害を残す。慢性的な不安、現実感の喪失、情緒の不安定、意欲の減退、社会的な不適応などがあげられている。とりわけ、他の人が死んでいったのに、自分だけが生き残ったことについての罪の意識、あるいは他の人を助けることができず、生き残るために自分がとった行動についての罪責感が、彼らを苦しめる。戦場で、引き揚げて、捕虜収容所で、ほとんどの日本人が心的外傷後ストレス障害、生き残り症候群になったに違いない。死別による病的悲哀も体験したであろう。このような心的障害に対し、戦後の日本人がとった反応は三つあったと考えられる。ひとつは、極めて少数であったが心の傷や罪の意識を大切にしようとした人がいた。戦友の遺品や手紙を遺族のもとに黙々と届け続ける帰還兵の生きざま。「わだつみの声」の編集。敵、あるいは物としてしか見ていなかった中国人が、人間として見えるようになった時の加害者としての罪の意識の自覚…。しかし、それらは結局、周囲の人々がとるに足りないこと、めめしいこと、生存していくためには害になることとして抑圧していったのである。第二の反応は、戦争の加担者も被害者もひっくるめて「無罰化」し、勝っても敗けても戦争は悲惨なものだからと捉え、平和運動に流れ込んでいく動きである。戦後の反戦平和運動には、純粋無罰化の心理から絶対平和を主張するグループと、なおも反戦勢力(社会主義圏)と好戦勢力(アメリカ)を分けて考えるべきだと主張するイデオロギー的無罰化のグループがいた。いずれのグループも、心の傷を大切にしようとした第一の人々を切って捨てた。第三の反応は、心の傷を抑圧し、再び唯物的な価値観によって踏みにじり、物量によってアメリカに負けたのだから、経済的復興、工業の再建、アメリカの経済力に追いつき追いこすことによって立ち直れると身構えたのであった。それは富国強兵の軍国主義イデオロギーを、経済成長中心の資本主義イデオロギーに置き換えたものであり、力と物の豊かさがすべてだと思い込んでいた。これは朝鮮特需、高度経済成長、土木・建設業を軸とする地方の補助金経済、東京集中、産業構造転換の進行する過程で、ますます強化され、日本人の心?の本流になってしまっている。このような敗戦を物質的に過剰代償しようとする構えこそが、心の傷を否認する今日の日本の文化を作ってきたのであった。私は本研究において、「やむをえなかった戦争」でも「させられた戦争」でもなく、自分が行った侵略戦争の責任を問い続けている老人たちを訪ね、長時間の面接と内面の分析を行っていった。さらに元憲兵であった三尾豊さん(85歳)、元731部隊軍属(少年隊員)であった篠塚民雄さん(72歳)にお願いし、彼らの健康管理を行いながら、中華人民共和国のハルピン、済陽を訪ね、彼らが戦争犯罪あるいは中国人抑制にかかわった現地で、過去を追想し、内面を分析していく作業を行った。さらに中国・南京を訪問し、日本軍の大虐殺について現地を見てまわった。今後、三〇人をこえる膨大な聞き取り記録を整理していくつもりである。