著者
野田 浩二
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.67-94, 2013

公共政策は一般的に,政策決定,政策実施,政策評価の3段階に分けることができる。政策決定では,誰が政策を決定するのか,各社会アクターはどのように決定に携わるのかといった点が主テーマとなり,官僚主導型あるいは政党主導型なのかが争われてきた。近年は,官僚と政党といった古典的なアクターだけでなく,NGO・NPOなどの新しいアクターの動向まで視野に入れた研究が増えている。政策実施はいったん法律が成立した後の,いわば実務上の行政活動を対象とし,政策評価では政策の正否が判断される。代表的な環境政策過程分析をみると,審議委員としての自身の経験や行政担当者へのヒアリングに基づき,容器包装リサイクル法の政策過程を明らかにし,さらには容器包装リサイクル法改正の政策決定を分析した寄本の研究は重要な先行研究である。また,環境保全よりも産業界の経済的動機がドイツ容器包装リサイクルシステムをうみだしたことを明らかにした喜多川の研究や,1949年の水質汚濁規制勧告の政策決定を分析した平野の研究,公害健康被害補償法の政策決定を内外の圧力を踏まえて分析した松野の研究も重要である。これらの既存研究は法律制定過程に注目し,誰がどのように政策決定に関わったのかを明らかにしようとしてきた。環境政策を含めて公共政策研究は政策決定に注目し,政策実施についての研究は進んでいない。真渕はその理由として,政策実施段階での行政の動きが地味であり,また政策実施はうまくいって当然と考えられやすい点を指摘した。本稿の分析対象である旧水質2法における多摩川水質基準の策定過程は,政策決定ではなく政策実施である(多摩川(上流)の水質基準は1966年に,多摩川(下流)は1967年に設定された)。なぜ,旧水質2法なのか。これは,わが国の水質保全政策の歴史によるからである。旧水質2法,すなわち「公共用水域の水質の保全に関する法律」(水質保全法,昭和33年12月25日法律第181号)と「工場排水等の規制に関する法律」(工場排水規制法,昭和33年12月25日法律第182号)は確かに1958年に制定されたが,それが機能しだしたのは1960年代中旬以降であった。旧水質2法の特徴は,人の健康被害や産業被害の除外を要する地域を「指定水域」として指定してはじめて,水質基準を設定することにあった。経済企画庁長官は水質審議会の議を経て,指定水域と水質基準を決めた(水質保全法第5条,第13条)。実際には,各水域で特別部会を設置し,そこで実質的な議論がなされた。目的条項が調和条項であったことから分かるように,旧水質2法の基本思想は経済成長あっての水質保全であった。そのため,水質基準は産業界や省庁間の政治的交渉や政治的妥協に基づきやすく,実際に,国と地方との事務折衝と水質審議会の動向が決定的に重要であった。この点がよく表れているのが,東京都の水道水源であった多摩川の水質基準策定過程なのである。東京都と神奈川県は旧水質2法より前に独自の公害防止条例を制定し運用していたために,多くのノウハウを得ていた。その科学的かつ行政上の蓄積が,国に対する共闘を可能とし,国よりも厳しい水質基準を求めることを可能とした。多摩川問題をもっとも包括的に分析した市川の研究や「新多摩川誌」でも,旧水質2法下の水質基準策定過程は取り上げられていないし,隅田川などの水質基準策定過程を取り上げた公害問題研究会の研究でも多摩川は対象外であった。通常,水質基準策定を深く知るための資料は残されていないが,幸運にも,神奈川県立公文書館に多摩川水質基準策定に関する行政公文書が残されていた。これらの貴重な資料を活用することで,これまでブラックボックスであった多摩川水質基準策定過程を明らかにすることができ,環境政策論への含意の抽出が可能となる。
著者
野田 浩二
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.67-94, 2013

公共政策は一般的に,政策決定,政策実施,政策評価の3段階に分けることができる。政策決定では,誰が政策を決定するのか,各社会アクターはどのように決定に携わるのかといった点が主テーマとなり,官僚主導型あるいは政党主導型なのかが争われてきた。近年は,官僚と政党といった古典的なアクターだけでなく,NGO・NPOなどの新しいアクターの動向まで視野に入れた研究が増えている。政策実施はいったん法律が成立した後の,いわば実務上の行政活動を対象とし,政策評価では政策の正否が判断される。代表的な環境政策過程分析をみると,審議委員としての自身の経験や行政担当者へのヒアリングに基づき,容器包装リサイクル法の政策過程を明らかにし,さらには容器包装リサイクル法改正の政策決定を分析した寄本の研究は重要な先行研究である。また,環境保全よりも産業界の経済的動機がドイツ容器包装リサイクルシステムをうみだしたことを明らかにした喜多川の研究や,1949年の水質汚濁規制勧告の政策決定を分析した平野の研究,公害健康被害補償法の政策決定を内外の圧力を踏まえて分析した松野の研究も重要である。これらの既存研究は法律制定過程に注目し,誰がどのように政策決定に関わったのかを明らかにしようとしてきた。環境政策を含めて公共政策研究は政策決定に注目し,政策実施についての研究は進んでいない。真渕はその理由として,政策実施段階での行政の動きが地味であり,また政策実施はうまくいって当然と考えられやすい点を指摘した。本稿の分析対象である旧水質2法における多摩川水質基準の策定過程は,政策決定ではなく政策実施である(多摩川(上流)の水質基準は1966年に,多摩川(下流)は1967年に設定された)。なぜ,旧水質2法なのか。これは,わが国の水質保全政策の歴史によるからである。旧水質2法,すなわち「公共用水域の水質の保全に関する法律」(水質保全法,昭和33年12月25日法律第181号)と「工場排水等の規制に関する法律」(工場排水規制法,昭和33年12月25日法律第182号)は確かに1958年に制定されたが,それが機能しだしたのは1960年代中旬以降であった。旧水質2法の特徴は,人の健康被害や産業被害の除外を要する地域を「指定水域」として指定してはじめて,水質基準を設定することにあった。経済企画庁長官は水質審議会の議を経て,指定水域と水質基準を決めた(水質保全法第5条,第13条)。実際には,各水域で特別部会を設置し,そこで実質的な議論がなされた。目的条項が調和条項であったことから分かるように,旧水質2法の基本思想は経済成長あっての水質保全であった。そのため,水質基準は産業界や省庁間の政治的交渉や政治的妥協に基づきやすく,実際に,国と地方との事務折衝と水質審議会の動向が決定的に重要であった。この点がよく表れているのが,東京都の水道水源であった多摩川の水質基準策定過程なのである。東京都と神奈川県は旧水質2法より前に独自の公害防止条例を制定し運用していたために,多くのノウハウを得ていた。その科学的かつ行政上の蓄積が,国に対する共闘を可能とし,国よりも厳しい水質基準を求めることを可能とした。多摩川問題をもっとも包括的に分析した市川の研究や「新多摩川誌」でも,旧水質2法下の水質基準策定過程は取り上げられていないし,隅田川などの水質基準策定過程を取り上げた公害問題研究会の研究でも多摩川は対象外であった。通常,水質基準策定を深く知るための資料は残されていないが,幸運にも,神奈川県立公文書館に多摩川水質基準策定に関する行政公文書が残されていた。これらの貴重な資料を活用することで,これまでブラックボックスであった多摩川水質基準策定過程を明らかにすることができ,環境政策論への含意の抽出が可能となる。
著者
野田 浩二
出版者
水資源・環境学会
雑誌
水資源・環境研究 (ISSN:09138277)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.16-23, 2015 (Released:2015-07-11)
参考文献数
17

わが国の環境研究を振り返ると、環境政策の政策過程分析は意外なほど少ない。本稿の目的は、1964年に制定された新河川法を素材に、水政策の政策過程分析の意義と可能性を論じることにある。政策過程は、誰がどのような根拠や思想に基づいて、どのように政策をつくるのかに焦点を当てる。そこには、官僚組織内部あるいは国会で法律が調整される様を分析する制定過程も含まれるが、制定過程分析よりも長い期間を想定する。政策過程を分析するさい、制定過程ではなくより歴史的に多角的に政策変化を分析するための「鳥の目」と、ある法律案が法律になるまでの一連の制定過程を分析するための「虫の目」のどちらも重要となる。前者は御厨貴が指摘した点、つまり1950年代は建設省主導による新河川法改正のために外堀が埋められる期間であり、河川法以外の水資源関連法の政策効果が重要であった。さらに、新河川法の制定過程を虫の目から分析すると、この解釈は正しいことが分かる。今後、水政策の政策過程分析をもっと増やすことが求められ、鳥の目と虫の目の両方から分析することが重要である。