- 著者
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金 博男
- 出版者
- 日本時間学会
- 雑誌
- 時間学研究 (ISSN:18820093)
- 巻号頁・発行日
- vol.12, pp.61-78, 2021-12-31 (Released:2022-07-01)
本稿は中国における呼吸による理想的時間論がいかなるものであったかについて考察するものである。人間が一昼夜において1万3500回息をするという説は,現存する中国最古の医書である『霊枢』に記されており,後に朱子が考える天地の運行を支持する理論のひとつへと発展していった。「息」自体は,本義が鼻息と思われ,前漢時代からすでに「短い時間」と関係づけられ,一定の程度で時間単位としても機能していた。1万3500回息説は,日本へも伝わり,数多くの『日本書紀』の注釈書に提示されているが,日本人は中国人より一日の呼吸数が少ないという新たな理論展開も見られる。そして,一条兼良『日本書紀纂疏』において,この説を利用して,逆に時刻を知り得ることが述べられている。『西遊記』においては,孫悟空がこれを「実践」したと思しい。所詮は机上の理論にすぎなかったこの説ではあるが,鼻息によって時刻を知る方法が,南宋以降,新たに「発見」され,兪琰『席上腐談』や方以智『物理小識』に記されるに至った。それは,鼻の穴に左右交代に息を通すことによって時辰を知るという説である。この説がさらなる「進化」を遂げたものは,民国時期にも見られるが,中国人の伝統的呼吸論および呼吸にまつわる理想的時間は,西洋の科学知識および現代医学の到来によって崩れつつあった。