著者
金 木斗哲
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.110, 2006

1.はじめに<BR> 近年の韓国農村部にはどこかで活気を感じさせるところが多い。都市との生活水準の格差は依然としてあるものの、社会基盤整備も進んでおり、毎年のような変わっている韓国農村部の変貌ぶりには目を見張るものがある。本報告では、韓国農村部における近年の劇的な変化の要因を、1990年代以降の韓国農村部をめぐる社会経済的な環境変化から明らかにするとともに、変化の渦中にある韓国農村部の中でひときわ注目を集めている全羅南道咸平郡を事例として取り上げ、韓国農村部自治体の新たな地域開発戦略である「場所マーケティング」ついて検討し、場所マーケティング戦略が韓国農村部に新たな活路を見出す可能性について検討する。<BR>2.韓国農村部をめぐる社会経済的な環境変化<BR> 韓国において1990年代はあらゆる面で大きな変化があり、韓国の現代史の中で一つの分水嶺になるに違いない。何よりも30年間続いてきた軍部独裁による強権統治が終焉を告げ、社会全般に重くのしかかっていた権威主義的な雰囲気が晴れてなくなった。このような変化の具体的な内容は次の5つにまとめることができる。第一に、民主化と伴ういわゆる「文民政府」の登場と、それによる農業農村政策基調の変化である。この時期に至って農業農村部門への財政投資が本格的に行われるようになるが、その物的基盤になったのは地方譲與金制度の創設や各種補助金の拡充である。第二に、1995年の地方自治制の復活と民選郡守(郡長)による地域活性化への取り組みである。韓国農村部は、韓国社会全般の植民地支配と朝鮮戦争による伝統との「断絶」の上、画一性や均一性を重んじる軍事文化が社会全般に横行し、「没地域文化」を強いられていたが、地方自治制の復活後は民選郡守による地域活性化への取り組みが本格化し、伝統文化の発掘や特産品の開発など様々な試みがなされている。実に、2005年には600を超える「地域祝祭」が全国各地で行われている。第三に、金融危機以降の金融界の貸付先の変化である。金融危機後に新たに登場した融資先が土地などの担保能力のある自営業であり、与信禁止業種の緩和もそれに拍車をかけた。その結果、レストランやホテルなどの消費部門の過剰競争が起こり、それらの自営業が農村部にまで乱立するようになった。第四に、農村部における交通網の整備とIT化の進展である。1990年代以降農村部への財政投資の多くは道路整備に投じられ、農村部へのアクセスを飛躍的に向上させた。また、高速インターネット通信網の整備も進み、農村部にも高速インターネットが広く普及した。インターネットの普及に伴う農村部からの情報発信は新たな農村観光の需要を引き起こし、網道路整備による時間距離の短縮はそれらの需要を現実のものとした。最後に、観光パターンと意識の変化である。観光パターンの変化は農村を「立ち去るべき」空間から「訪れる価値のある」余暇空間へと変えていった。2002年からは週休二日制が導入され、農村観光の需要は大幅に増えている。<BR>3.場所マーケティングよる地域戦略<BR> 咸平郡の事例咸平郡は全羅南道に属する韓国の代表的な後進地域で、過去35年間に2/3以上の人口が減少し現在は約4万人で高齢化率は約21%、専業農家率は約80%である。最寄りの中心都市は東に約50_km_離れている光州市であり、ソウルまでの距離は約440_km_で高速道路を利用した場合約4時間30分で結ばれる。場所マーケティングとは、新しい地域のイメージを創り出し、場所資産としてマーケティングすることによって、地域経済の活性化を図るというものであるが、咸平郡では1999年から「チョウまつり」をはじめ、150万人以上の観光客で賑わっている。すなわち、地域のイメージを創造や清浄を連想させる「チョウ」に代表させ、地域ブランドとして「Nareda」(韓国語で'飛ぶ'という意味の造語)を登録し、すべての地元特産品に「Nareda」の商標を付け、付加価値の高い販売戦略を取っている。ここで注目すべき点は、咸平郡という場所性とチョウとの関連性であるが、実は「チョウまつり」以前の咸平郡はチョウとはまったく無縁であった。にもかかわらず、生態観光や体験型観光を求める需要に合わせて当該地域を「商品」として開発し、新しい地域性を創り出したのである。従来の地域づくりや地域ブランド化戦略では地域固有の資源、すなわち場所性に基づいて行わなければならないと主張されてきた。しかし、すべての地域が競争力のある地域資源を持っているとは限らない。それ故、場所性を場所に対して認知された特性と定義し、需要に合わせて修正ないし形成可能であるという場所マーケティング戦略は注目に値する。