著者
金井 英一
出版者
東海大学
雑誌
東海大学紀要. 外国語教育センター (ISSN:03893081)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.33-50, 2005-03-30

クライストの最後の戯曲『公子ホンブルク』Prinz Friedrich von Homburg (1811)ほど,毀誉褒貶に曝されてきた作品は珍しい。今でこそドイツ悲劇の規範(カノン),ドイツ演劇の定番(レバートリー)としての地位はいささかも揺がないが,評価の変遷を逐一辿ろうとすると(半ば史実に基づかれていることもあって),それはドイツ近現代史を裏側からなぞるに等しいという由々しい事態を伴っている。受容と反発,賞賛と非難の歴史的経緯は,全集の解説や注釈に詳しいところだが,その契機の軸になってきたのは,第四幕の死の恐怖Todesangstと,第一幕冒頭の主人公によって見られた夢の場面Traumwandlungであった。騎兵隊を率いて選帝侯Friedrich Wilhelmの麾下にある一人の公子が,翌日に大きな戦いを控えながらブランデンブルクの城を背景にした夜の庭園にさ迷い込んで,夢に耽けってしまう-その現場を選帝侯以下宮中の面々に目撃される。舞台はそこから幕が上がり,ドラマの一切はこの時主人公によって微睡(まどろ)まれた夢をめぐって展開してゆく。その意味で夢は作劇上の一つの重要なモチーフとなっているが,それだけに終らず後述するように最終場において当の夢がそっくり舞台(現実)に再現されることで,ドラマの主題そのものに深く関わってゆくのである。そこでここでは劇作家クライストに置ける<夢>の問題を考えつつ,いわゆる夢遊Somnambulismusにライトを当て,そうした方向からあらためて作品のテーマを考察してみたい。もっぱら夢という視点から当作品を照射・分析してみようというこの新しい試みは,それなりに作品解読の一つのヒントになり得ると考えるからだ。