- 著者
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金子 えつこ
- 出版者
- 四国学院大学
- 雑誌
- 奨励研究
- 巻号頁・発行日
- 2008
シニャフスキーも指摘しているプーシキンの言語の「軽さ」の第一要因としては、一文の短縮傾向があげられる。軽快性を保つため、カラムジンら先行の作家と比較しても一文に含む語数が少なく、しかもその傾向は後期により顕著となる。例えば『スペードの女王』では六語以下から成る短文が全体の実に34.7%を占める。また第二要因として、プーシキン散文における動詞の割合が高く総語数の40%であること、さらに完了体の含有率が異常と言ってもよいほど高く、例えば『スペードの女王』では52%にもなることにも注目すべきである。このような動詞中心の短文中に二語ばかりか三語も新情報(レーマ)が含まれる、といった手法により、場面転換、視点転移が迅速になり、叙述に自由闊達な軽快性が加味されると考えられる。さらに韻律性の要因が第三にあげられる。散文でありながら随所に韻律パターンが見られることをボンディが指摘しているが、独特のリズムと押韻を伴うS音等の「軽い」子音の配置、また、ある音韻が至近距離で呼応することで特定の雰囲気をテクストにかもし出す技法が見られる。例えば『スペードの女王』で主人公と賭博勝負をするチェカリンスキーは、物語の終結部分のみに繰り返し名前が登場するが、チェカリンスキーという語感は、発音の類似する単語чек,чеканкаなどにより金属的、金融的と言え、冷たく不安をあおる響きを持つため、主人公の暗い決死の賭博事情を語る時の伴奏のような効果がある。また、彼の登場するテクスト部分にчеловекなどчеで始まる語がちりばめられ、彼の台詞の中にもче,кという音が響く(я не могу метать иначе, какна чистые деньги.)など、音の呼応が場面全体の緊張感や主人公の発狂前の高揚を表現する一助となっている、と言える。