著者
金子 宜正
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.1-10, 2004-03-31 (Released:2017-07-19)
参考文献数
26

バウハウスを退職した後、ヨハネス・イッテンは、独自の造形美術学校イッテン・シューレ(1926-1934)をベルリンに創設した。同校の教師陣には、日本人画家・水越松南、竹久夢二がおり、小原図芳は水越の授業を見学した。また、自由学園からの二人の留学生(山室光子・笹川[当時旧姓今井]和子)が同校で学んだ。本稿で筆者は、ベルリンにおけるイッテンと日本人との交流の詳細、日本人画家がイッテンの芸術論に与えた影響、イッテンと日本人画家を結びつけた長井亜歴山の活躍、日本に伝えられだイッテン教育にみられる日本画の影響を明らかにした。更に、山室・笹川が日本でイッテン教育を広め、イッテンと教育的交流を持ち続けたこと、二人の友人でイッテンの教え子エヴァ・プラウトが大智浩にイッテン教育を教え、彼が後にイッテンの色彩論を邦訳するに至ったことを明らかにし、イッテンと日本のデザイン教育との接点について論じた。
著者
金子 宜正
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究. 研究発表大会概要集 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
no.50, pp.48-49, 2003-05-01

The Ittenschule (1926-1934) was an art and design school established by Johannes Itten in Berlin. Among the instructors at the Ittenschule were painters Shounan Mizukoshi and Yumeji Takehisa and there were two students from the Jiyugakuen, Misses Mitsuko Yamamuro and Kazuko Sasagawa. Until now I have publicized some papers on the details of their activities at the Ittenschule and their acceptance in Japan. This presentation further clarifies how Itten's way of thinking in the art/design education and the activities of the Japanese people interrelated, including their mutual interchange and the circumstances in Berlin surrounding Itten in those days. The relationship between Itten's artistic thought in modern design and Japan is thus discussed.
著者
金子 宜正
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.179-194, 2008-03-27 (Released:2017-06-12)

戦後のザールブリュッケン国立美術工芸学校における芸術教育に,バウハウス第二世代(バウハウスやイッテン・シューレの関係者を含む)が貢献していたことを,現地における文献・資料調査や卒業生への聞き取り調査等をもとに明らかにした。特に,オットー・シュタイナートとハネス・ノイナーによるバウハウス教育の影響や,ボリス・クライントとオスカー・ホルベックが行なった基礎課程にイッテンの芸術教育が活かされていたことが具体的にわかった。また,同校における専門的な芸術教育家養成や展覧会活動等について述べた。さらに,戦後の芸術教育や芸術活動に貢献したバウハウス第二世代の中心的な人々が1930年頃のベルリンに集まっていたことを指摘し,その重要性について論じた。
著者
金子 宜正
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.1-10, 2004-03-31

バウハウスを退職した後、ヨハネス・イッテンは、独自の造形美術学校イッテン・シューレ(1926-1934)をベルリンに創設した。同校の教師陣には、日本人画家・水越松南、竹久夢二がおり、小原図芳は水越の授業を見学した。また、自由学園からの二人の留学生(山室光子・笹川[当時旧姓今井]和子)が同校で学んだ。本稿で筆者は、ベルリンにおけるイッテンと日本人との交流の詳細、日本人画家がイッテンの芸術論に与えた影響、イッテンと日本人画家を結びつけた長井亜歴山の活躍、日本に伝えられだイッテン教育にみられる日本画の影響を明らかにした。更に、山室・笹川が日本でイッテン教育を広め、イッテンと教育的交流を持ち続けたこと、二人の友人でイッテンの教え子エヴァ・プラウトが大智浩にイッテン教育を教え、彼が後にイッテンの色彩論を邦訳するに至ったことを明らかにし、イッテンと日本のデザイン教育との接点について論じた。